2008/3/21

金剛界の心棒
20・3・21
今日は、弘法大師空海の1173回忌の日である。今朝のメッセージは、其の日に相応しいモノ・内容と言えるものであろう。
今朝の映像は、先ず、何層かに成っている金属の筒の中に、最後の中心と成る芯が、下方から差し込まれ、しっかりと納まる場面が映されて来た。其の、中心の芯に納まった心棒は、是以上、硬い物は他に無いと言える硬い金属で、黒光りを放っていた。
此の場面は、宇宙の意識の中心軸が、ようやく納まった事を意味しているのであろう。そして、其の芯と成る部分・部品は、是以上他に無いと言うほど堅固な物である。其れは、密教の「金剛」の言葉の意味を裏づけるものである。
「金剛・こんごう」とは、(梵)Vajraの訳。最剛、堅固の意。1金属の中で最もかたいもの。きわめて強固で破れないもの。2 「金剛杵(しょ)」の略。3 「金剛界」の略。「―童子」4 「金剛草履(ぞうり)」の略。 大辞泉より
其れが、無事に中心に納まったと言う事は、私の是までの努力が実ったと言う事でもあり、天界も新しい世界を創造するのに、手掛かりを得た事にも成るのだ。其れは、私が24年前此の世界に入った時に、「貴方は“事象の特異点”であり、神が新しい時空を創造する為の“座標軸”に成るのだ。」と告げられた事が、ようやく現実として完成された事を知らせて来たものであろう。
次の映像は、漢字が縦横に沢山正確に並べられており、其の漢字が、赤い線で方々に結ばれていた。其れは、漢字が含んでいる正しい意味が、間違いが無い様に組み合わせられている事が、理解されるものであった。其れは、漢字の単語が、正しい組み合わせに修正される事を意味し、其れが、大日如来の意志が、正しく此の世に反映されると言う事でもあるのだろう。
「大日如来」とは「ビルシャナ」の訳で、ビルシャナとは「宇宙の真理の本体」との意味なので、今朝は其のビルシャナの本体の中心軸が見せられた事に成る。そして、其の中心軸に関わる大事が、漢字の組み合わせに有ると言うことである。そして、其の中心が硬い金属で示されたと言う事は、漢字こそが「真言・マントラ」を正しく働かせる事が出来ると言う事であろう。マントラとは、「言葉が考える器である」との意味である。
だから今朝のメッセージは、密教の曼荼羅の金剛界の中心軸が現れて、言葉を正しく組み直す作業が始まった事が示されて来たのだ。
其れは、大日如来を本尊とする、真言宗を開いた弘法大師空海の命日に、相応しいメッセージであると言えるであろう。空海は、「弘法大師も筆の誤り・・」と、「猿も木から落ちる」の例えに使われる様に、他に例が無いくらいの評価を受ける程、書にも長けていたのである。其れは、単に筆が達者であっただけではなく、文字に「念を掛ける・願いを込める」能力も強かったと言う事でもある。其の事を考えると、今朝のメッセージは、正に弘法大師空海の命日に相応しいものであると謂えるだろう。
そして、今朝私が気付いた事は、1昨日の午前2時34分に男性の声で「自適さーん」と呼ばれて起されたのは、「234」の数字が「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここの・たり」の「ふみよ」で、其れを漢字に当てると「文代・文世」に成り、今朝のメッセージに繋がっている事に成る。「文・ふみ」とは、文字にて気持ちや考えを伝える文章の手紙・ふみの事である。そして「文・あや」とも読み、「あや」は「心のあや」であり、人間の気持ち其のモノを意味する言葉である。
其れは、神のメッセージが岡本天命の「ひふみ神事」から「ふみよ神事」に一歩・1段レベルアップした事を意味している。
そして、漢字の「文・ブン・モン」の字義は、人間が胸に刺青している象形で、人間が自分の大事な「気持ち・あや」を、胸に刻む事を意味している。だから「文」の文字は、漢字の始まりを意味している事にも成るのである。「ふみよ・文世」とは、人間の言葉や文字が、正しく使われる世を意味しているのであろう。其れは、正に、大日如来の世が完成する事も意味している。
其れに、三女神を祭る福岡の宗像大社の「宗像・むなかた」は「胸型・むなかた」で、胸に刺青の「像・かた」を刻むの意味でもある。
今朝は、更に、映像が送られて来た。其れは、穏やかな河川か、湖水に、屋形船が一隻浮かんでいて、人間が遊覧を楽しんでいる風景が映されて来たのである。其れは、新しい文世が完成すれば、人間に穏やかな遊覧の世界が与えられるとの事ではないだろうか。
遊ぶの漢字は、元は「游ぶ」で「しんにょう」ではなく「三水・さんずい」である。だから、水上の湖面を漂い遊ぶ事が、本来の游びである事になる。だから此の映像は、正しい文世を創造すれば、人間に本来の楽しみが与えられる理・ことを伝えて来ているのだろう。
其れは、弘法大師空海が出来なかった世界であり、空海の夢でもあったのではないだろうか。空海の生きた時代は、貴族だけが優雅な暮らしをして居て游んでおり、庶民には其の様な生活は許されてはいなかったであろう。しかし現代の世の中は、庶民でもお金を払いさえすれば、誰でも其の游びが可能である。しかし、此の侭世の中が進んで行けば、誰も其の様な優雅な行いは不可能に成る事は明らかである。
今朝のメッセージは、人間に対して、言葉を本来のモノとし、心が「宇宙心・大日如来」と同じに成らなければならない理を、伝えて来ているのだろう。そして、其の中心軸に、私がようやく「帰り・祷り(帰命)着いた」との事ではないだろうか。そして私の背景に、4311体の神霊の思頼・みたまのふゆが着いていて、事を進めて来ていたと言う事である。
そして其の霊魂達も、私と共に行動をして、同じ次元に達したので、過去の世界が必要無いと言う事ではないだろうか。だからこそ、過去の学びの教室・キャンパスの座席を、取り外してくれと頼んで来たのではないだろうか。
私が、初めてセミナーを始めたのは、1996年3月21日出雲の「学びの家」であった。其れも、私が空海の命日を指定したのではなく、家主の安部忠宏氏が勝手に決めた日付けであった。其れから既に11年が経過している。
其の時は、全国から20名程が集まって下さったが、今日は誰も身近には居ない。しかし、こうしてPCで文章を打ってITにアップすれば、世界中の人が毎日5〜6百人も見てくれている。其れは、私がこうして毎日文章を打つエネルギーにも成っているのだが、ITの出来た御陰でもある。其の事を考えても、大日如来は言葉・マントラの世界だけではなく、物質の世界も管理している事に成るのだ。
弘法大師空海は、釈迦牟尼佛やイエスキリストと違い、レオナルド・ダ・ビンチの様に、現実世界に対しても天才的な実績を残している。だからこそ、弘法大師空海は力を持っているのであろう。もしかしたら、2時34分に私の名を呼んで起した犯人は、弘法大師空海だったのかもしれない。そうであれば、私はこうして、弘法大師空海に身体を使用されているのかも知れないのである。しかし、遊覧船が準備されているのであれば、此の侭の状態で事を急いだ方が良いのではないかとも想われてくる。
とにかく、いまの処は、事は順調に進んでいる様である。
平成20年3月21日
礒 邉 自 適

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