2008/2/3
言葉より大事な行為
20・2・3
今日は、節分で、鬼を追い出す為に、豆を撒く行事をするが、其の行事が何で有るのかに付いて、今朝は知らされて来た様な気がする。
今朝のメッセージの映像は、光の世界に1人の男性が現れて、何かの蓋を開けたら、文字が滝の様に溢れ四方八方に流れ出して行った。其の文字は、文字や数字が混ざり合った意味不明の繋がりで、其れは鎖の様に流れ出して行くのである。其れは、岡本天明の日月神事の文章の様なものと、説明すれば判り易いだろうか。そして、ハッキリと示されたのは「131」の数字であった。
「131」の数字は、先日29日の私の誕生日に現れた「1―(3・3)―5」の数字の極限を意味しているのかも知れない。其れは、「5」の頭(知識)が、尾と同じ「1」と成り、手足の「3・3」が引っ込んで、「身・3」一つと成って、「申」の文字の形になったのだとも考えられる。
「申」は日本語の「申す・もうす」に使用され、漢字では「神」に使われる文字である。「神」の漢字は「示(ネ)+申」の組み合わせで、「示」は祭壇の形の象形で「申」は電の「雨+申」の組み合わせと同じく、雷の稲光の象形で、電気の意味を現している。だから「神」の漢字の意味は、「祭壇を設けて 神の知らせ(電気信号・磁気情報)を受け取る。」との意味である。
そして、受け取ったお告げが「知」である。「知」は、「矢+口+刀」の組み合わせで、意味は「手にしている、矢や刀を天に返して、手ぶらに成り(行為を止める)神の言葉(口)、知らせを受け取る。」との意味である。そして「智」は、其れを口(曰く)に出して、他人に伝えるの意味である。
これ等の意味を考えると、今朝のメッセージ映像は、神の言葉の入れ物(容器・箱)が開いて、神の言葉が溢れ出したと考えても良いのではないだろうか。そうで有れば、蓋を開けた男性は、京都の下賀茂神社の祭神「賀茂別雷大神・かもわけいかづちのおおかみ」なのかも知れない。
しかし、言葉が溢れ出した結果が、どう成るのかは、今朝の処では未だ判らない。
今朝は最後に、「鯖缶・さばかん」との言葉が告げられて来た。其れは、昨晩夕食のおかずが何も無く成ったので、自然食のお店で買って来ていた鯖缶詰を開けて、キャベツと煮て食べた事に関係が有るのだろう。其の鯖缶詰は、自然食品店の物だから、添加物や化学調味料や防腐剤などは入ってはいないので、悪い意味で、云われたのではないだろう。
其れで、考えられる事は、人間の日頃の手足(3+3)の使い方が、其のまま神に伝わる儀式に当る事を意味し、言葉よりも大事な事が、人間の日常の立ち振る舞いに有るとの理・ことではないだろうか。だから昨夜、私が鯖缶詰を開ける行為が、言葉の箱を明ける儀式に繋がったと言う事である。其れは、神社の神輿の蓋を開けて、言葉の神である「ケルビム(智慧の神)」の封を切ってしまった事に、成るのではないだろうか。
私が缶詰の蓋を開けたのは、ガス台の処である。其のガス台の直ぐ前には、弁財天のお告げにより、祭壇を設けてある。私は、キャベツが煮える間に、其の祭壇の水を取り替えたりもした。其れ等の事を考えれば、私は、祭壇の後ろで、蓋を開く儀式をした事に成ってしまうのだ。
其れは、悪く取れば「パンドラ」の箱の蓋を開けてしまい、賀茂別雷大神の働きが、此の三次元世界に溢れ出した事に成るのではないだろうか。雷神とは、角を生やした鬼で、風神と友達の神である。其れは、鬼を追い出すどころか、鬼神のモトを開けてしまった事に成る。其の鬼神が放出した言葉は、バラバラで意味不明の言霊である。其の繋がりの無い言葉が、人間の頭に流れ込んでしまえば、人間の潜在意識は大混乱を起こし、顕在意識の弱い者は、其れに負けてしまい自分の意識をコントロール出来なく成り、混乱を起こすであろう。
そうなれば、人間社会に混乱が起きる事は間違いない。其れは、毒入り餃子どころの騒ぎでは済まないであろう。現代社会はコンピュター社会だから、大事なポジションに着いている者が、頭脳に混乱を起こせば、株や為替の世界には直ぐ混乱が起きるし、軍隊や原発のパソコンの前に座っている人が、精神異常を起こせば、何が起きるか判らない。そう成らなくても、ウランをバケツの中でかき回して、臨界点を起したりする人間も居るぐらいだから、現代社会は何が起きるか判らないのである。
世界中で現在問題に成っているサムプライスローン問題も、住宅を買うと言う単純な事から発生した出来事である。其れは、人間に集団行動に巻き込まれる弱点が有る事を示している。
私の父が、私に小学4年生の時に教えてくれた事は「皆が走り出したからと言って、自分も走り出すな。」との短い簡単な事である。其れが、訳の判らない言葉が、行き成り大量に流れ込んでくれば、人間は意識の混乱を引き起こし、社会がどうなるかは誰も判らない。
はっきりしている事は、其の社会から逃げ出し、田舎で自給自足をして生き延びて、次の社会を新しく構築する事である。
誰もが、今の社会が、何時までも続くとは考えてはいないだろう。もし続くと想っている人が在るとすれば、無知としか言いようがない。石油が、後60年程で無く成ると言うのに、未だ高速道路を建設しなければ成らないと言う、無知な政治が行われているのである。石油が無く成ってからは、其の高速道路も壊せないのである。そんな政治が行われている国家(公務員の会社)を、当てにしている訳には行かないのである。
全てが崩壊する前に、次の時代を構築しなければ成らないのだ。其れが、新しい幟旗を揚げるとの意味であろう。缶詰を開ける行為だけでも、神の世界に働き掛け起きるのである。其れは、神の意志に適った幟旗を揚げれば、どんな動きが起きるのかを予測出来るものである。出雲の安部忠宏氏は昨日「環境デザイン会議」の名を、今は亡き東京農業大学名誉教授であった杉二郎先生から貰っていると云って居た。案外、其の幟旗は有効なのかも知れない。
「131」の数字は、「3」が神を意味しているのであれば、「3」は神の棺を意味し、左右の「1」は、棺に通された担ぎ棒を意味する事に成る。そうであれば、愈々神の棺が、お宮の中から此の世に担ぎ出された事にも成る。其れは、善き悪しきに付け、何かのマツリゴトが起きる前振れを意味しているのではないだろうか。まさか、御伊勢さんのお札が、空中から降る事には成らないだろうが、心構えを整える必要が有るだろう。其れは、自分の一挙一投足に、全神経を集中する事である。都会の建物の室内で、パソコンにしがみ付き株や為替の乱高下だけに目を向けて入れば、自分の住いの外で、何が起きているのかは分らない。気付いた時は、既に手遅れなのである。
ノストルダムスの預言には、「アングルモアの大王が 暫らく 此の世を治める。」と有る。アングルが「角度」であり、モアが「多数」の意味であれば、「アングルモア」とは「多数の角度」と成り、現在の世界経済を支えているITの事だとも受け取れる。先日も、マイクロソフト社がヤーフ社を4兆円7500億円で買収するとのニュースが流れていた。其れは、ITが経済の中心を占めている事を示している。
だが、パソコンやITからは、米粒1つ生まれないのである。現代文明と言うモノは、人間の頭から生まれた集団幻想以外の何物でもない。しばらく、此の世界を牛耳るアングルモアの大王とは、IT社会の事であれば、其のアングルモアが崩れ去らない前に、新しき体制を整える事が、我々の役割ではないのだろうか。
今朝は、其れに関している様なブログも有る。
吉岡学の日記 http://blog.heart-land.biz/
今朝のメッセージは、私1人へのモノではない様である。自分自身の中に飼っている鬼が、どう動くのかは、其の人の自覚有る仕種で、善にも、悪にも、働くのだから、他人の所為にする事は出来ないのである。もし、自分に起きた不都合を、他人の所為にする者がれば、其れは、既に、悪い鬼を飼っている証拠であるのだ。
自分自身の行為こそ、大日如来に直結しているのではないだろうか。
平成20年2月3日
礒 邉 自 適

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