天智天皇は、日本の時刻を初めて刻んだ天皇で、6月10日の「トキの記念日」は其の古事に由来しています。
トキ の 始まり

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投稿者: isobejiteki
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天 智 天 皇
「天智」とは天のように広く限りない意味であり、四海あまねく智恵の光をさしのべたもう大神で.あられます。別名の「天命開別」とは、神ながらの理想をうけられて日本の運命を開き、新時代を推進されますことの尊称で、運命開拓の大神と拝します。
御在世のみぎり、成文法憲法の源である「近江令」の制定。公立教育制度の創始である「勧学院」の創立。漏刻(水時計)の設置と時刻制度の開始。全国規模のの戸籍台帳「庚午年籍」の作成。国土の開発、街道の整備、天文、暦法、文化芸術の奨励。また、産業、殖産、農業政策の刷新ほか、後世に大きな影響を与え続けた諸政策を執り行なわれました。
また、御即位の式典の御時、越の国(新潟県)より、「燃ゆる水(原油)」が献上されました日本書紀の記録は、わが国の文献における「石油」の初見であります。さらに、小倉百人一首巻頭の「秋の田の…」御製は、多くの人々に親しまれております。
これらの御事績より、国家鎮護、社会安寧、開運開拓の大神。法律の神、時の祖神。教育文化、産業殖産、営農の大神。交通安全、エネルギーの守護神。として崇敬されております。

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2010/2/21
稜威の御霊この春オープン
22・2・20.
今朝のメッセージの映像は、小学生の男子に魚釣りを教えている場面から始まり、其の男の子が持つ釣竿に魚が掛かったのだが、釣り上げ方が下手なので、魚が巣穴に隠れて、釣り糸が動かなく成ってしまった。
私は、其の原因を探る為に海中に潜って、其の糸を引くと糸が切れてしまった。しかし、餌に食らい付いていた魚は、砂の中に隠れている侭なので、私は其の魚を逃げる寸前に、鷲掴みに手で捉まえて持って陸に上がった。
其れから、近くの浅瀬を見ると、其れと同じ魚が、池の様な水溜りに何匹も居た。私は、其の池の魚は、掬い網を持って来れば捕まえる事が出来ると考え、村の中に帰った。だが、網を探しているうちに時間が経ったので、海水が満ちて来て、潮溜まりの魚は沖に逃げ出しただろうと想い、魚を取りに行くのは止めた。
其れから、男の子と女の子を数名船に乗せて、川に遊びに行った。すると、未だ浅い所なのに、子供達が船から飛び降りてしまい、岩に当って大怪我をしてしまった。
どうやら、其の子供達は、これまでに川遊びや船遊びをした事が無いらしく、危険度の判断が出来ないらしいのである。私は、其の子供達を陸に上げて、医者に連れて行くか、救急車を呼ばなければ成らないと考えている処で、其の場面は終わった。
其のメッセージの意味は、子供の時の遊びが、如何に大事であるかを示して来ているのであろう。何故かと言うと、机に座って情報を集めてばかり居ると、三次元世界である現場の情報が身体に取り込めないと言う事であり、物事に対処する訓練が出来ないと言う理・ことである。
其れに、自然は絶えず変化しているので、直接自然に関わりを持っていないと、潮の満ち引きが判らないので、物事に対する表現である「潮時・しおどき」の言葉も理解できないと言う事である。
そして、子供の頃に自然の中で遊ばせる事は、怪我・けがが付き物なので、外科医療が欠かせないとの理・ことなのではないだろうか。怪我は、食べ物を良い物に換えたり、指導者が言葉で説明するだけでは、止められない事である。
今朝は、其の後に「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命・調栄気稜威の御魂天盛る向津霊目の命(つきさかきいづのみたまあまさかるむかつひのみこと)此の春オープン」との言葉が告げられて来た。「調栄気稜威の御魂」とは、「神功皇后・じんぐうこうごう」が7日間の御籠もりをして、「吾が夫に『新羅の国に渡れ』と 告げた神は 誰か」と聞くと、「調栄気稜威の御魂天盛る向津霊目の命」との応えが有り、其れが天照皇大神の別名である事が判ったとの事である。
其の神の名に付いては、是までにも何回か文章に書いてある。
「稜威の御魂」
http://star.ap.teacup.com/170606/57.html
龍の球を扱う
http://green.ap.teacup.com/20060818/752.html
今日は、其のメッセージで、次の様な事を考えた。
「神・はたらき」は、透明であり全てを通過させる。
「聖霊」は、宇宙の「理・ことわり」を悟った「智慧者・人間」の魂しいである。
「人間」は、太陽エネルギーで育てられた「食物」を食べて、赤く燃える生き物である。
だから、「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」とは透明な存在で、人間の周囲に何時も存在するが、人間の目には見えない存在だと言う事である。
だが、其れは、何時も自分の身の回りに存在するのだから、人間が其の神・はたらきと同調すれば、何時でも同じ意識に成る事ができると言う事である。其の為にこそ、日本の神社で唱える祝詞には、「罪穢れ 祓もうば・・・」との言葉が有るのだろう。
「罪穢れ 祓もうば」とは、「禊ぎ祓い」の為の言葉である。「罪穢れ・つみけがれ」とは、これまでの人生で、積んで来た余計な情報を、全部消去する事であり、其れが出来なければ「御稜威・みいつ」の氣・ケが枯れるのである。
此処数日で、宇宙の「情報・プログラム」が新しい段階に突入している事が理解できる。其れは、日蓮聖人が謂っている「南無妙法連華経」の意味の、釈迦の教えである法連華に帰依すれば、「天照皇大神」や「宇佐八幡」など、諸天善神が皆守護に着くとの事が、現実と成ったのであろう。
昨日の、智恵美さんのビジョンは、皇居に参賀の時の様に、何万人もの人達が集まっている映像が現われて、智恵美さんに付いている意識が、皆に何かを話していたとの事である。そして、皇居の壁には、赤い龍の絵が描かれていたらしい。
昨日は、午前8時に松岡さんの車で西宮を出発し、9時20分には滋賀県大津市石山に有る「山岡けんこう舎」に到着した。そして、山岡夫妻や無双の人達と昼まで話し、昼から「近江神宮」に参詣し、社務所の岩崎氏に4月19日・20日の遷都祭の様子を伺った。
其れに拠ると、19日の「宵祭り」は、東京から勅使・ちょくしの方が来られ、夕方から儀式が行われるだけで、20日の午前10時から大祭が行なわれた後、直会・なおらいが開かれるとの事である。
其の直会に、何人が参加出来るかを聞くと、50人程は可能であり、会館の宿泊は15名程が可能だとの事であった。是で、4月20日の催しに付いて、取り合えずの規模はイメージできる様に成った。
其れから、山岡康人氏を店まで送り、1度西宮の松岡さん宅に引き返して、電車で大阪の御堂筋の「クナイプ療法協会」に向かい、6時には着いて、6時半から江口麻緒さんの講演が始まった。江口麻緒さんの誕生日は、2月22日だとの事なので、聖徳太子の命日の622年2月22日と同じであり、何かの因縁を感じた。
最後に、私が5分程話し、9時2分に解散と成って、私と松岡さんは、昨日入車されたばかりの金城さんの新車「トヨタプリウス」に乗せて貰い、松岡さんの自宅に10時に帰り、11時11分まで松岡さんと2人で焼酎のお湯割りを飲みながら、今後の事に付いて話した。
今日は、午前8時に、松岡さんの車でJR西宮駅に送って貰い、大津市の石山に10時頃到着した。そして、午前中に県庁前に有る天孫神社「祭神・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」に参詣し、境内で開催されている市を見学し、午後は信楽の西山氏が経営する蕎麦屋に昼を食べに行った。
山岡啓子さんと、お嫁さんと三人で、蕎麦屋に到着すると、佐賀県出身である西山夫妻に暖かく迎えられ、蕎麦を食べた後に話して居ると、西山夫妻も4月20日に参加するとの事に成った。
そして、其の日の午前6時半から信楽で行なわれる「倫理研究所」の早朝セミナーで、私に話をしてくれとの事で、私は理事長の「丸山敏秋氏」にも会って話をした事が有るし、東京でも講師を務めた事が有るので、其れを了承した。そして、熊本県菊池市在住のサチコさんの歌を、20日に近江神宮で奉納して貰おうとの事にも成った。
毎日、情報のCDが、次々に重ねられる様に、人材が組み上って行きつつある。
平成22年2月20日
礒邉自適

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2009/12/1
「ラージャ」で在ると言うこと
21・12・1
今日から新暦では12月であり、12月5日で、私は此の世界に入って丸25年半に成る。今朝は、25年前に、師の下で「禊ぎ祓い・バプテスマ」を受けて、此の世界に入った時と同じ様に、意識が空白と謂うか、記憶が消去された状態に在る。
其れは、4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」に、身体を占領されて来た事も無かったかの様な感覚であり、昨日の出来事も、夢の中の出来事であったかの様である。
昨日は、朝から11時までにブログにアップする文章や写真を用意して、後の作業はボランティアスタッフの藤田さんに任せて、高等学校の給食問題の打ち合わせに向かった。そして、関係者と合流し、3組の事業者との面接が終わってから、村造りの現場視察と成った。
現場で写真を撮影しながら、関係者の案内をしていると携帯に電話が掛かり、畑の防御網に雄鹿が掛かっていると云うので、急いで事務所の方に帰った。そして、鹿の解体をしている間に辺りが暗く成って来たので、懐中電灯を点けて作業を続けた。
昨日は、最終便で福岡に帰る関係者にレバー・肝臓を差し上げる為に、時間が無いので作業手順を変えた事で、膀胱を傷付けてしまった様で、特別な臭いが漂っていた。其処には「麝香・ジャコウ」に似た匂いも有った。
今朝の私の意識は、空白でメッセージの様なモノは何も無いのだが、唯一つイメージに残っているのは、自分の方から、女性の家・住処に行っては成らないと謂う理・ことである。其れは、ジャコウ鹿が「性フェロモン」を発散して、雌を呼び寄せる理・ことに関係が有るのかも知れない。
・・麝香の麝の字は鹿と射を組み合わせたものであり、射は麝香の香りが極めて遠方まで広がる拡散性を持つことを表しているとされる。 ジャコウジカは一頭ごとに別々の縄張りを作って生活しており、繁殖の時期だけつがいを作る。 そのため麝香は雄が遠くにいる雌に自分の位置を知らせるために産生しているのではないかと考えられており、性フェロモンの一種ではないかとの説もある。―引用終了―ウィキペディア辞典
神社の祭りで、舞をする巫女さんが、「斎草・さいぐさ」である白い「笹ゆり」を手に持って舞うと、其の香りを嗅ぐ事で頭が空白に成り、無心にて舞う事ができるのである。其の道理と、「麝香」には同じ様な効果が有るのかも知れない。
此の様に、文章を書いている私の臭い感覚には、昨日の匂いが胸の所に蘇って来て大変である。
昨日は、鹿を解体して居る間にも、近くの森の中で、雌を呼び寄せる為の雄鹿の鳴き声が響いていた。今の季節は、丁度鹿の交尾時期であるので、昨日の雄鹿の腹部には、雌を集める為の性フェロモンが溜まっていたのかも知れない。其の腹部の袋を、手元が暗く成って来たので、私が破いてしまったのであろう。
しかし、其の様に成ったのも、森羅万象を管理している、神の働きの所為だったのかも知れない。
今朝の、私の意識状態は、昨日のメッセージと関係が有るのだろう。1昨日「マハラジャ・大王」との言葉が告げられ、昨日は其の続きとして「ラージャ。ラジャ。」との言葉が告げられて来て、其れは「統治する人」との意味である理・ことが判った。
今朝は、其の「マハラジャ・大王」が、どう言う心境で在らなければ成らないのかを、神・天が私に体験させているのかも知れない。しかし、今、私の頭は真っ白で、なんにも考えられない状態である。私は以前、中国の王様が受ける針の治療を、2ヶ月間に亘り受けた事がある。其の時、針の先生が私に云った世界が、今起きているのかも知れない。
・・・私は、1995年の9月に東京の人に探し出されて、中国の王様が受ける針の治療を2ヶ月に渡り、7回受けた事が有る。其の時に、云われた事は「北を背にし 南を向いて椅子に正しく座り 呼吸を整え 頭に一切の言葉を 想い浮かべては成らない」との理であった。其のコトが、今の私に、現実として起きて来ているのだ。
其れ等の事柄を考えると、今朝の状況こそ、神々と精霊達が、此処まで私を導いて来た理が完成した事を意味し、23年前に私を探し出した師の云った事が、現実と成った事を証明しているのではないだろうか。・・・・
「平らかに成った世界」 http://green.ap.teacup.com/20060818/200.html
此の文章を読むと、今朝の私の精神状態は、過去に数度有った事に成る。しかし、其の時毎に少し状態に変化が有る。25年半前の時は、此の宇宙の神秘を体験し、自分が生かされている事の感謝が全身全霊を覆っていた。そして、上記した2007年2月26日には、未だマハラジャの立場の意識は生まれてはいない。其れが、今回は「マハラジャ」の言葉を告げられた事で、此れまでには無かった感覚が有る。
其れは、「マハラジャ・大王」の立場を、迎え入れるとの自然な感覚である。其れは、森羅万象の流転を自分の事として、夢の中の感覚の様に、全てを自然に流して行くと謂うか、無抵抗にて通過させて行く事である。其処には自己判断が何も無いので、善し悪しの概念は何も無いのである。其れは、仏教の世界で謂う処の個人的な「安心立命」とは、違う世界である。
此の世界こそが、師が私に伝えたがっていた世界であり、老子が感じとっていた究極の世界なのではないだろうか。そうであれば、私は老子の世界に到達した事に成り、師の気持ちに対して期待に応える事が出来たと謂うか、恩返しが出来た事に成るのではないだろうか。そして、其の背景には、森羅万象の流転が有るのだろう。
今朝の気持ちには、釋迦牟尼佛の意識も存在している様な感覚が有る。其れは、PCに向かっているとき以外の私の意識には、何等、言葉の反応と謂うか、使用が無いからである。其れは、釋迦牟尼佛の訓えである「十二縁起」の内容が、いま私の意識の中で理解されており、釋迦牟尼佛が其の「十二縁起」の理・ことを自覚した時の状態を、自分の中に含んでいる感覚が有るからである。其れは、釋迦牟尼佛の意識が2500年振りに私の肉体・船に蘇っていると謂う事に成るのだ。
今日は、朝起きた時には、過去の記憶が全部消去され、霊魂の憶いは無くなっているので、書く事は何も無いと想って居たのだが、こうしてPCの前に座って居ると、泉から自然に清い水が湧き出す様に、意味が浮かび上がって来る。此のシステムこそが、智慧を司る水の守護神である「青龍」の働きなのではないだろうか。
其の、智慧の働きを考えると、1昨日から、学校や村造りに関しての私の意見が、完璧に、現実を良い方向に向かわせている事が、何なのかが理解できて来る。此の世界こそが、「大国主命」の国造りに対して、智慧を授けた「少名彦神・すくなひこ」の働きなのかも知れない。何れにしても、事態は良い方向に進み出した様である。
此れは、エジプトの「ファラオ・王」が、「トト神」の化身である書記長に対して、「其の様に行い 其の様に記せ」と云う世界がいま、如実に起きている理・ことを意味しているのではないだろうか。エジプトの「ファラオ」とは、古代エジプトの王で「ペル・アア(大きな家)」という言葉が、変化したものだとの事である。
「大きな家」との意味は、日本語の「公・おおやけ」が「大宅・おおやけ(大きな家)」の意味である理と同じである。だとすれば、やはり日本の神社の鳥居や高麗獅子(ライオン)の文化は、エジプトから伝わって来たモノであると言う事になる。
だから、「殿様・とのさま」の「殿・との」が建物の事であり、「殿下・でんか」の言葉も有るのだろう。「殿・デン」の漢字を漢語林でいま調べると、「尻+台+殳」の組み合わせで、尻の様に安定感のある、たかどのの意味を表す。「字義」@との。ア大きな建物。ご殿。「殿堂」イ天子。皇后・皇族等の住居。また、貴人の住居。「宮殿」A政務をとる所。朝廷。B寺。寺院。C貴人の尊称。殿下。D物を打つ音。Eしんがり。と 載っている。
私は、此の「殿・デン」の意味をいま知って、25年前の出来事を思い出した。其れは、此の神の世界に入った時に「きみ」との言葉が伝えられて来て、大きな人の尻が映像に映し出されて来たのである。私は、当時は何も知らなかったので、「きみ」は「卵」の「黄身・きみ」の事かと思い、大きな尻に付いては、本屋から女性のヌード写真が載っている週刊誌を買って来て、尻の所を鋏で切り抜いたりしていた。
私は、週刊誌等を買って読む事がなかったので、突然に週刊誌を買って来て、女性の大きな尻の写真を切り抜いている私の行動は、家族には奇異に想われ、私は頭が変に成ったと想われたのである。
其れが、何であったのかが、本日理解できて来た。最初から私には、レベルの高い御仁の御霊が付いていて、「君・殿様・マハラジャ・ファラオ」の自覚を迫って来ていたのであろう。其の時点では、完成まで16年半掛かるとの事であり、其の年数を計算すると2000年12月5日だったのである。そして、其の「16年半」との期間は、神武天皇が、南九州で神のお告げを受けて、奈良で「政・まつりごと」を始めるまでの期間と、同じだったのである。しかし、其の2000年12月5日までに、新しい「政・まつりごと」を始める処までは事が進まなかったのである。
其れは、私の人格が伴わなかった事も原因では有るが、当時理解できる人々が居なかった事も其の要因に上げられる。其れから、9年が経過してしまっている。
現在の状況を考えると、屋久島に新しい形態の高等学校が出来て、8000人もの生徒が入学しており、先日、其の学校は「いのちの島」とのテーマでテレビドラマ化もされた。其れに、新しい村造りも始まっている。其れ等の出来事は、私が屋久島に存在していなければ起きていない事である。其れを考えると、私の想いが現実化している事にも成る。
他にも、私が考えている事が有るので、其れ等の事も、此れから現実化して行くのかも知れない。だとすれば、未だ大きく事が変化しているとは言えなくても、「マハラジャ・君・殿様・ファラオ」としての役割は、既に始まっているのかも知れない。
今日は、岡山のKさんより電話が有り、11月28日のビジョンを知らせて来た。其の内容は、大きな建物の広間の下座にKさんが座っていると、舞台の右側に座って此方を見ている役場の男性が「サポートするので 町長に立候補する様に」と告げたとの事である。そして、数年前に亡くなった父親が現れて、台所で料理を一緒に食べて居たとの事である。
其のビジョンの映像は、とても大事な意味を示している。大きな建物は「殿・大宅」を意味しており、亡くなった先祖の霊魂が現れて、台所で一緒に食事をするのは、日本の伝統である「御饌殿神・みけどののかみ」と「直会・なおらい」の意味が含まれているので、新嘗祭の儀式の意味が有る。其れに、町長に立候補すると言うのは、「大嘗祭・大譲祭」にも繋がりが有る。
其れと、右側に座っている男性が「サポートをするので 町長に立候補をする様に」と云うのは、イエスキリストが謂っている「神の 左側に座す者が現れたら 此の世の終わり」との事が、実際に始まるとの事を意味しているのではないだろうか。イエスキリストの謂う「此の世の終わり」とは、「次の御世の始まり」の事である。新しい御代の始まりには、新しい「町長・おさ・ラジャ」が登場しなければ成らない。
其れを考えると、Kさんに告げられて来たビジョンも、私のメッセージと同じ意味が示されて来ている事に成るだろう。確かに、新しい時代の幕開けが迫って来ているのだ。そして、其の事に対して、私にも、新しい心構えが求められて来ているのであろう。
12月5日まで、残り4日である。何が、始まるのかは未だ判らないが、14年前に「王様・マハラジャ」の針を打つ家系の先生に教えられた事や、26年前に師に謂われた事が、現実として始まるのなら、素直に其れを受け入れるしかないのであろう。
平成21年12月1日
礒邉自適

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2009/10/30
爽爽として
21・10・30
今日のメッセージの映像は、書かれた理論の内容を良く吟味して、私の意識が格付けを行う場面が現れて来た。しかし、其の作業は、理論の文章力よりも、其れを書いている人間の人格に、重きが置かれている様であった。そして、今朝、私が格付けを行って居たのは、下層の段階でも、一番の上層部分でもなく、上層から少し下の部分であった。
其の意味は、私には人々の人格を見る能力は高まって来ているが、未だ人間が書いた文章の内容に付いて、最高レベルの見分けは出来ないとの事を、意味しているのではないだろうか。其のメッセージの内容からすると、私が直接に理論の世界に取り組む必要は無いと謂うか、無理であるので、其の事に付いて相応しい人物と謂うか、能力の有る人間を探し出して、其の霊留・ひとに任せれば良いとの事なのかも知れない。
今朝は、宿舎から出て車のエンジンを掛けたのは7時25分であった。そして、事務所の前に着いてエンジンを切って、事務所のドアの前に立つと「さばさばとして」との言葉が告げられて来た。早速、古語辞典で「さばさば」を調べると、
「爽爽・サワサワ」「さはさは」とも。さっぱりと。すっきりと。きれいに。[例]「御心地さはさはとなりて、いささか心苦しき御事もなく」(宇治拾遺・八)と載っている。
更に「爽」の漢字を、漢語林で調べると、次の様に載っている。
「爽」は、「日+喪」の組み合わせで、音符の「喪」は、うしなうの意味。日はまだ出ないが明るくなりはじめた、夜明けの意味を表す。「篆文」の喪は、この金文の変形したものであろう。また、喪に通じて用いられ、失うの意味も表す。
[字義]、@あきらか。アはっきりしている。イ明るい。夜明け。ウ神霊のあきらかのこと。Aあきらかにする。Bさわやか。すがすがしい。「爽快」Cたがう。たがえる。誤る。Dほろびる。失う。敗れる。(敗)そこなう。(傷)Eたけだけしい。はげしい。
其の「爽爽として」の意味と、時刻の7時25分の数字を合わせて考えると、マヤ暦の事が思い当たる。「爽」の意味は「日はまだ出ないが明るくなりはじめた、夜明けの意味を表す。」と有り、7月25日はマヤ暦の時間の空いた日であり、翌26日が元旦である。
其の7月25日の意味と、「爽爽として」の言葉を合わせると、今日の私の心境を意味していると言うか、爽の、「夜明けの意味を表す。ウ・神霊のあきらかのこと。」の意味が現実として、いま起きている事に成るのではないだろうか。
其れに、7月25日の日付で検索したら、私の以前の文章が出て来て、今朝のメッセージと関係の有りそうな事が書いて有る。
「茎」http://star.ap.teacup.com/170606/172.html
今回、屋久島を訪れた神奈川の高橋智恵美さんは、三回目の来島であるが今回は以前とは違い、「カモ(神の電気信号)」のスイッチが入っており、1昨日の屋久島一周で4箇所にて反応が有った。
其の場所は、1、ネマチ岳を中心とする「東北東(丑・22・5度)」に当たる泊川の場所で、町営の「塵焼却場」の施設。2、「真南(午・180度)」に当たる地点で、朱雀の形をしている「高等学校」。3、「南東(巽・135度)」に当たる地点で、昭和55年に村造り日本一に選ばれて、天皇杯を授与した麦生集落。集落の「公民館」には其の表彰賞とカップが置かれている。4、「東南東(辰・120度)」に当たる地点で、屋久島自適塾」の事務所の場所。の4箇所で有る。
其の「カモ(神の電気信号)」が有った場所は、4箇所とも、神社の有る場所ではなく、他の施設の有る場所である。其れは、神の働きが、神社の有る場所や神社の建物には関係が無く、人間が利用している施設に関わりを持って来ている事に成る。
其の施設は、人間が出した「塵の焼却施設」。熊本から札幌まで全国に16の分校を有する「学校・教育施設」。天皇杯を置いて有る集落の「公民館」。情報の発信をしている「事務所」。である。何故、是までの様に神社で反応が有るのではなく、人間の生活に関わる施設だけで「カモ(神の電気信号)」の反応が有ったのだろうか。
其れは、神の働きが、絶対世界である四次元から、相対世界である三次元にシフトして来ている理・ことを意味しているのではないだろうか。其れが、4箇所である事と、昨日の玄武の動きである4時44分の時刻の数字を考えると、老子の言葉が思い出されて来る。其の老子の言葉とは、42章に有る「根源たる『道・タオ』から 一が生まれ 一から二が生まれ 二から三が生まれ 三から全てが生まれる」の言葉である。
其の老子の言葉からすると、昨日の「4時44分」の時刻は、平成元年の3月13日の昼間と、9月3日の夜中の「3時33分」のメッセージから、21年掛かって、ようやく全てが生まれる時節が到来した事を、「4時44分」の時刻・数字は、示して来ているのかも知れない。
私は28日から、何故、塵焼却場の所で、私と高橋智恵美さんの両方に、反応が来たのかを不思議に思って居たので、昨日は高橋智恵美さんが船に乗る前に、同じ場所に同行して貰った。するとやはり、往復とも塵焼却場の所で「カモ(神の電気信号)」の反応が2人に有るので、塵焼却場の敷地の中まで入って見た。すると、36億円掛かったと云われている其の施設内には、焼却灰が大きな袋に入れられて、敷地を一周して置かれているのである。敷地の中では、反応は強く現れたが、「何を どうしろ」との具体的な指示は2人共に何も無かった。
高橋智恵美さんには、29日の夜、天皇杯の置いて有る麦生集落の公民館の、直ぐ横に有る民宿「やくさば」に泊まって貰った。其の民宿は「南東(巽・135度)」の線上の真下に当たる場所であり、昭和天皇誕生日の祭日である2007年4月29日に、私が始めて参詣した大山神社の参道の近くでもある。私が、昨日の昼、高橋智恵美さんに霊夢を見なかったかと訊ねると、「真っ黒い蛇が 一匹現れて 噛み付かれるかと想ったが 何もしなかった」との事であった。
「村造り天皇杯」http://wave.ap.teacup.com/894019/840.html
其の黒い蛇は、私が始めて大山神社に参詣して、祠の中に御神体と成る物が何も無いので、球石を御神体と納めた日の夜、2007年4月30日の未明に、其の祠の中から真っ黒い大きな蛇が現れて、檻の中から外に出たがっている映像を見せられた事と関係が有り、其の蛇が、小型の姿で高橋智恵美さんのビジョンに現れたのであろう。
「助け蛇が目を覚ます」 http://green.ap.teacup.com/20060818/734.html
「人間の生き方のファイル化」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1032.html
其の、麦生集落の森山に有る大山神社の祭神は、キュウリの切り口が京都の祇園神社の神紋に似ているので、キュウリを食べてはいけないとされている「祇園さん」の「素戔鳴尊・すさのおのみこと」である。其の祇園神社の祭神は、「素戔鳴尊」とされているが「牛頭大王」との呼び名も有る。「牛頭大王」とは、牛神の意味であるから、シュメール文化の「牛神・バール」と同じであり、アルファベッドの「A」が牛の象形文字であり、「B」は膝ま着いて其の牛神を祈る、人の象形である。其れに「A・あ」は、日本の鳥居の右側に置かれている、「阿吽・アウン」の高麗獅子の「阿・あ」の獅子の意味と共通しているし、インドの宗教である「大日如来・マハーヴァイローチャナ」を表す文字も「阿・あ」である。
其れ等の事柄を考えると、アルファベットの始まりの「A・あ」と、日本語の48音の始まりが「あ」である事の意味も共通している様に感じる。其の言霊の事を考えると、今朝のメッセージの映像に現れた、文章の格付けの世界は、言霊中心に審査をする必要が有るのかも知れない。(今 左手の中指に「カモ(神の電気信号)」が来た。)
どうやら、其の判断は当たっている様である。
どうやら、昨日のメッセージの映像に現れた、テーブルの上に積まれていた10枚程の大皿は、「マントラ(言葉は 人間が考える為の器 の意味)」に関係が有り、正しい言葉が使用される事が、「政・まつりごと」の基本であるとの事ではないだろうか。そして、其の事が正されない限り、玄武の「大蛇・龍」の働きは、亀の甲羅には巧く填まらないとの理・ことなのかも知れない。
其の様に考えると、私や、高橋智恵美さんに現れた大山神社の黒蛇は、玄武の働きである亀に巻き付く大蛇であると言う事に成る。其の、大蛇の神霊が済む集落の公民館に、日本の皇帝である天皇から授与された、村造りの「天皇杯」が有る事の意味も、納得出来る。
日本では、天皇が「政・まつりごと」を行う事を、「政治」の治を使って「治しめす・しろしめす」と言う。其れに付いては、以前に次の様に書いて有る。
・・「事代主神・八重言代主神」 ウィキペディア辞典
名前の「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神である。言とも事とも書くのは、古代において言(言葉)と事(出来事)とを区別していなかったためである。
大国主の子とされているが、元々は出雲ではなく大和の神とされ、国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったとされる。元々は葛城の田の神で、一言主の神格の一部を引き継ぎ、託宣の神の格も持つようになった。このため、葛城王朝において事代主は重要な地位を占めており、現在でも宮中の御巫八神の一つになっている。 引用終了
是に拠ると、日本語では「言葉」と「出来事」は同類の概念であり、「言葉」が「事場」を生み出す要因である理・ことを現している。だからこそ、日本では、スメラの命が政(まつりごと)を行なう事を、「治しめす・代示す・しろしめす」と言うのであろう。
「事代主神」http://green.ap.teacup.com/20060818/712.html
古代中国では、国の王都を建設する時は、都の形を亀の形に造り、其の亀の形の都に玄武の働きである「龍神・大蛇」が巻き付いて、守護をすると考えられていたらしい。其れを考えると、此の屋久島の姿形その物が亀の形に似ているので、玄武の働きが1昨日降りて来たのも、「紀・トキの祭り」の現象なのかも知れない。
「宝の島」http://moon.ap.teacup.com/20060615/18.html
「紀(トキ)」http://moon.ap.teacup.com/20060615/15.html
「素戔鳴尊の言葉」http://moon.ap.teacup.com/20060615/130.html
「 大山祇神の本体」http://moon.ap.teacup.com/20060615/16.html
今朝の告げられて来た「爽爽として」の言葉は、仏教の言葉の「平常心」と同じ意味を持っており、私に「御心地さはさはとなりて、いささか心苦しき御事もなく」の歌の意味の様に在れとの事なのかも知れない。明日は村造りのオーナーが来島するし、10月2日(旧暦9月16日)は「大山祇神」の祭りの日であり、大山邦博氏宅に仲間が集まるので、私も話をしようと想っている。
いよいよ、私にも「「治しめす」事の準備が必要なのだろうか。本番が近いからこそ「爽爽としていなさい」との事なのかも知れない。
平成21年10月30日
礒邉自適

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2009/10/29
4時44分
21・10・29
今朝のメッセージの映像は、何物かは判らないが大物を迎える為に、日本建築の床様の有る立派な部屋の中に、木のどっしりした大きなテーブルが置かれていた。そして其のテーブルの上に、木製の亀の甲羅の様な物が有り、隣には、やはり木製の4つ足の付いた龍の模型の様な物が置いて有った。私の意識は、其の2つを組み合わせる為に其れ等を手に取った。そして、龍の四足の胴の部分に、亀の甲羅の様な形の物を嵌め込んだ。其の組み合わせは、中国の四神の1つである玄武の形である事が理解出来た。しかし、其の組み合わせは、色々と甲羅の位置を動かして見たが、未だ完璧な形には収まらないのである。
私は、其の形がピッタリ収まらない事に、気持ちがしっくり来ないまま、其の置物をテーブルの上に置いた。そして、テーブルの右側を見ると、料理を盛る大皿が10枚程重ねられているのが見えた。其の積まれている大皿は、一番上に白い皿が有り、何枚か下には、黒い皿が挟まっている事が判った。
其処まで確認出来た処で、私の身体に何かが降りて来ると謂うか、入り込んで来る感覚が有って、堪えられなく成って来たので、起きて目覚まし時計を見ると、時刻は4時44分に成る処だった。私は其れから、4時44分と、置物や大皿の関係を考えて見た。
是までに、3時33分の時刻は、平成元年3月13日の午後3時33分・(313333)に、阿蘇の「日宮幣立神宮」の神霊が掛かって来た事が有り、同じ年の9月3日の午前3時33分・(93333)には聖徳太子の霊魂が降りて来た事がある。しかし4時44分の時刻には、何も記憶に残るものは無い。
「是からが本番」http://star.ap.teacup.com/2007313/215.html
其れと、玄武と時刻の関係で記憶に有るのは、天智天皇が祭神である滋賀県の近江神宮に置かれている、玄武の形をした時計の存在である。其の玄武の形の時計が、どう言う仕掛け成っていたのかは記憶に無いが、天智天皇が日本で初めて時計を造って時刻を知らせた事に成っている。其れは、水の流れを利用した「漏刻(ろうこく)」と言う時計で、其れを記念して6月10日が時の記念日と成っており、近江神宮には「全国暦研究会」の事務局が置かれてもいる。
「漏刻(ろうこく)」
三層に別れた枡より漏れ落ちる水の量により時間を計るわが国最初の時計。近江朝より平安朝末期まで全国の鎮守府に置かれ時間を知らせた。
「新しい暦を考える会」http://moon.ap.teacup.com/20061108/395.html
何故、亀の身体に龍が巻き付いた玄武の形が、時計に絡んでいるのかは解らないが、奈良の飛鳥村で発掘された庭の跡には、亀の形をした岩に、水が流される溝が掘られた物が有る。其れ等の物の存在を考えると、亀と時間の関係を、古代人が意識していた事は明らかである。其の意味に付いて、私に考えろとの事が、今朝のメッセージの意味なのではないだろうか。
そして其の事が、大物を迎える準備に必要であるとの事なのであろう。何故、今日、其の事が伝えられて来たのであろうか。其れは、昨日が荒神様の日で有り、昨日荒神様の事に付いて触れたので、其の続きとして、今朝は料理を盛る大皿が重ねられて現れたのかも知れない。
其れに、昨日は午後、屋久島の真南に有る朱雀の形をした高等学校の、給食開始の為の相談が関係者から有った。何故、荒神様の日に、よりによって給食の相談が有ったのか、其れも不思議な事である。
今朝は其の後、1時間程経って、身体の反応が治まって来たので、再び眠りに入った。そして、明け方に映り出されて来た映像には、20歳代の女性達が、受付の為に並んでいる場面が現れて来た。其の列の並び方からすると、左側の方に受け付けの窓口が有るらしい。私は、其の女性達の雰囲気から、料理等の家政科の授業が行われる学校に、入学する女性達ではないかと想った。其れは、俗に言う花嫁学校の様な物であろう。しかし、並んでいる女性の雰囲気や様子から、相当レベルが高い学校である事が理解出来た。
其れから場面が変わり、また多くの文章が現れて、其の文章の整理や編集に、私の意識が関わっていた。其の、文章に関する事は、是までにも何回もビジョンに現れて来ているので、私は未来社会の為に、何等かの形で教科書と言うか、本作りに関わらなければ成らないのであろう。其れに、今朝は、其の本の量も何万冊にも成る映像が映されて来た。其れは、是から澤山の教科書や、研究書の本の作成が待っているとの事であろう。
今朝のメッセージの映像は、最後に、未だ奥の方に部屋が3つ有る事が示されて来た。そして、一番奥の部屋の突き当たりの壁には、直径1m50cmの黒丸が描かれているのが見えた。どうやら、其の黒丸が壁に描かれている、一番奥の部屋が、私の最終ゴールの様である。
日本の伝統である相撲の世界では、白星が勝ち日で、黒星は負けの日である。しかし、神の世界は、黒星の方が良いらしい。其れを考えると、絶えず、負け組みに組して来た私の人生は、正しかった事に成るのかも知れない。しかし其の為には、釋迦牟尼佛の謂う「忍辱・にんにく」の修行が大変である。
「忍辱・にんにく」
仏語。六波羅蜜の第三。侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと。忍辱波羅蜜。
今朝は、明け方に、例の女神の声で「未だ 本体を表に出したら駄目よ」と告げられた。其の女神の言葉からすると、未だ本番は先の様である。本番までには、玄武の置物の有る直会の間から、更に、三部屋奥に進まなければ成らないのであろう。其の部屋に入る為のキイが、444の数字に秘められているのかも知れない。
追記 今日は、此の文章を打ち終わってから、丁度日高雲平氏が来訪したので、暫く話した後、高橋智恵美さんを見送りに宮之浦の港に向かった。そして、約束の場所である「文化村センター」の駐車場に着いて車を止めると、町の正午を知らせるチャイムの音が響いて来た。其の「時間・トキ」の符号に、私の無意識だけではなく、私に関わりを持つ人々や、宇宙の事象が、完璧にシンクロして動いている事を確認できた。
平成21年10月29日
礒邉自適

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2009/9/24
五箇条の御誓文
21・9・24
昨夜は、沖縄で「いまここ塾」を開催しながら、全国を講演で飛び回っている阿部敏郎氏から、19時16分に電話が有り、「自適さんは、山川絋矢さんとお知り合いですか。山川絋矢さんの本を読んで、自分が考えている事と同じ理・ことが書いて有り大変感動しました。」との事だったので、山川絋矢さんと私の出会いの事を、しばらく阿部敏郎氏に話した。
其の遣り取りの経緯は、山川絋矢氏のミクシィと、阿部敏郎氏の「いまここ塾」のコメントに其々載っているので、此処には記さないが「悟り」の時代到来と謂うか、人類のアセンションが本番を迎えている感じがする。
其の流れと、直接に関係が有るのかどうかは判らないが、今朝のメッセージの映像には1枚の紙が現れ、其の紙には、ITで利用されている「封筒」の印が5個記されており、其の封筒の印の下には、其々の内容の違いを意味する文字が書かれていた。
そして、其の封筒の5個の印しは、仏か観音菩薩の右手が、握られている手の「爪・つめ・津目」の形にも見えた。何故かと謂うと、4つは横に並んでおり、1つは右側に縦に成っていたからである。
そして、其の封筒の中身が何であるかを考えて居ると、「ごかじょうの ごせいもん」との言葉が告げられて来た。いま其の「ごかじょうのごせいもん」をPCで検索すると、
次の様に載っている。
「五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)」とは、明治元年3月14日(1868年4月6日)に明治天皇(当時15歳)が公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針。正式名称は御誓文であり、以下では御誓文と表記する。
・明治新政府は発足当初から公議を標榜し、その具体的方策としての国是を模索していた。明治元年正月、福井藩出身の参与由利公正が、坂本龍馬の船中八策と似ている部分が多い議事之体大意五箇条を起案し、参与東久世通禧を通じて議定兼副総裁の岩倉具視に提出した。・・・・
・御誓文は明治天皇の勅命によって、3月13日に天皇の書道指南役であった有栖川宮幟仁親王の手で正本が揮毫され、翌3月14日、京都御所の正殿である紫宸殿で行われた天神地祇御誓祭という儀式によって示された。・・・・
・戦後、1946年(昭和21年)1月1日の昭和天皇の人間宣言で、御誓文の条文が引用されている。昭和天皇は幣原喜重郎首相がGHQに主導されて作成した草案を初めて見た際に、「これで結構だが、これまでも皇室が決して独裁的なものでなかったことを示すために、明治天皇の五箇条の御誓文を加えることはできないだろうか」と述べ、急遽GHQの許可を得て加えられることになった。天皇は後に、
「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。(中略)民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。」と 語っている。 1977年8月23日記者会見
・1946年(昭和21年)6月25日、衆議院本会議における日本国憲法案の審議の初め、当時の吉田茂首相は御誓文に言及して、
「日本の憲法は御承知のごとく五箇条の御誓文から出発したものと云ってもよいのでありますが、いわゆる五箇条の御誓文なるものは、日本の歴史、日本の国情をただ文字に現わしただけの話でありまして、御誓文の精神、それが日本国の国体であります。日本国そのものであったのであります。この御誓文を見ましても、日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものであり、あえて君権政治とか、あるいは圧制政治の国体でなかったことは明瞭であります」と答弁した。
このように敗戦後の初期には支配層は五箇条の御誓文は民主主義の原理であると主張した。・・・ ウィキペディア辞典 からの抜粋
此の内容を読むと、今月に入ってから度々「国家」や「国体」に付いてのメッセージが有った事と、今朝のメッセージは同じ流れの内容であると言う事になる。
今朝現れた封筒が、神仏の右手の五本指であれば、其々の封筒の中身は、神仏の5本の指の働きと関係が有るのだろう。
指の名前は、「親指」「人差し指」「中指」「薬指」「小指」と成っている。「親指」と「小指」は、其のまま「親子」の意味であり、「親分」「子分」の分けに成っており、「中指」は其のまま位置を意味し、「人差し指」は人間の動きの仕草そのものを表しており、「薬指」は其の名前通り口紅や軟膏などを塗る時に使う指である。
今朝の映像の意味からしても、親指は他の4本の横並びの指とは違い、上から縦に曲げられていたので、親か、神・天の働きを意味しているのではないだろうか。そして親指は、他の4本の指とバランスを図っているのである。
だが、今朝の指は握られた拳状態だったので、未だ其々の働きが動き出している分けではない。「人差し指」が立てられれば「此の指とまれ」の合図なので、人間の招集を意味するだろうし、親指が立てられれば「OK・グー」の意味にも成る。
其の理・ことを考えると、人差し指が立てられるのにも、親指でOKの合図を出すのにも、其の要因と成るモノがなければ成らない事になる。
其の為に、上に記した「御誓文は明治天皇の勅命によって、3月13日に天皇の書道指南役であった有栖川宮幟仁親王の手で正本が揮毫され、翌3月14日、京都御所の正殿である紫宸殿で行われた天神地祇御誓祭という儀式によって示された。・・・」
と 下記して有る、
「・・王政復古の大号令によって熾仁親王は新政府の総裁職に就任したが、幟仁親王も慶応4年2月20日(1868年3月13日)に議定に任命された。・・・」
との内容が、関係有るのではないだろうか。
此の3月13日の日付は、私が昭和天皇の御大葬の日であった平成元年2月24日にお告げを受けて、阿蘇に有る「日の宮幣立神宮」に平成元年3月13日に初めて参詣し、祭神が私の肉体に降霊した日付と同じである。其の「日の宮幣立神宮」には、神武天皇の第一夫人の長男である「天城彦」が祭られているのである。其れに、次の年の3月13日には、昭和天皇の息子である「国仁さん」が福岡で午後4時頃身罷ってもいる。
「我らが皇御子」http://star.ap.teacup.com/170606/52.html
「天皇霊 其の二 昭和天皇」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/59.html
是等の事を考えると、有栖川宮幟仁親王が今朝のメッセージに関係が有るのかも知れない。何故なら、今朝のメッセージの映像には、道路から直接、玄関前に車が入って来る、駐車場付きの大きな建物が映し出されて来て、私は其の大きな建物に出入りする人や車の様子を眺めて居た。其の建物は、東京の皇居や、京都の御所ではなく、新しく建築された「公・おおやけ・大宅」の建物の様であった。
私は、其の大きな建物の中に入るのではなく、管理棟の様な施設の方に居た。すると、其の建物の中に、屋久島の「喜勇市・きいゆういち」と言う、知り合いの男性が入って来た。私が、用向きを訊くと、「敷地内の 草刈をして居たのだが 草刈機が故障して 動かない」と云うのである。私が、倉庫の方に行くと、確かに草刈機のエンジンが分解されて有った。そして其の傍らには、其の人の着替えの服が置いて有る。私が、其の置いて有る服を良く見ると、其の服は、私が着ている物と全く同じ物なのである。
其の服とは、上着が「うさとの服」の佐藤宇三郎の作品で、シャツは大阪の笹倉玄照堂の品物で、ズボンは京都の袴の様な作りであり、全部青い藍染めの綿製品である。其れは、みな日本の「衣・服」の伝統文化を伝えている物である。
「笹倉玄照堂」http://www.genshodo.com/fashion/
「うさとの服」http://www.usaato.com/
何故、私が好きで愛用して、使い古されている上着と、シャツと、ズボンが出て来たのかを考えていたら、次の文章の中に「喜・キィ」と成る言葉が有る。
其れは、幟仁親王が「・・生涯を通じて洋装を拒んだ・・・」との一文である。其の「幟仁親王」の気持ちから察すると、「喜勇市」の名前は「勇気を持って 日本の衣服の文化を 市に出して 喜べ」との意味を、伝えて来ているのではないかと想われる。
「有栖川宮幟仁親王・ありすがわのみや たかひとしんのう」文化9年1月5日(1812年2月17日) - 明治19年(1886年1月24日)
・・・王政復古の大号令によって「熾仁親王・たるひと」は新政府の総裁職に就任したが、「幟仁親王・たかひと」も慶応4年2月20日(1868年3月13日)に議定に任命された。しかし政治的な役割は「熾仁親王・たるひと」に託し、自らは表立った活動をしないまま議定職の廃止を迎えた。「幟仁親王・たかひと」は政治から距離を置く代わりに、慶応4年1月17日(1868年2月10日)に神祇事務科総督に就任したのを皮切りに国家神道や国学の普及に努めた。明治4年(1871年)7月25日、家督を熾仁たるひと親王に譲り正式に隠居した後も、神道総裁や皇典講究所(國學院大學の前身)総裁などを歴任した。一方で仏教への理解も厚く、各地の名刹に書や物品を下賜している。
幟仁たかひと親王は維新以後の急速な生活様式の欧米化に対して消極的であった。すでに皇室の公式行事では洋式の大礼服を着用する事が義務付けられていたが、生涯を通じて洋装を拒んだ幟仁たかひと親王だけは特例として明治天皇から束帯での参加を許されていた。また、終生髷を切らず、西洋の薬も一切口にしなかった。ウィキペディア辞典
・「国学(こくがく)」は、日本の江戸時代中期に勃興した学問である。蘭学と並び江戸時代を代表する学問の1つである。和学・皇朝学・古学(古道学)などの別名がある。
それまでの「四書五経」をはじめとする儒教の古典や仏典の研究を中心とする学問傾向を批判し、日本独自の文化・思想、精神世界を日本の古典や古代史のなかに見出していこうとする学問である。
国学の方法論は、国学者が批判の対象とした伊藤仁斎の古義学や荻生徂徠の古文辞学の方法から大きな影響を受けている。儒教道徳、仏教道徳などが人間らしい感情を押し殺すことを否定し、人間のありのままの感情の自然な表現を評価する。
ウィキペディア辞典
更に、日本の歴史に想いを馳せると、日本の天皇家の元に成っている「瓊々杵尊・ににぎのみこと」の名が気に成って来る。何故かと謂うと、「ニニギ」の名が「握る・にぎる」の言葉に繋がり、今朝の映像の「握りこぶしの内側」の映像に、関係有りそうな気がするからである。
中国の、「孫悟空」が登場する西遊記の物語では、孫悟空は観音様の掌・手の平から外に出て行けない事に成っている。其れに比べて、今朝のメッセージの映像では、私の意識は掌の内側に有るのではなく、其の手を外側から見ていたのである。
其れを考えると、私の意識は、孫悟空の立場とは違い、既に観音様の「掌・たなごころ」から外に出ており、自由の身に成っている理・ことに成る。
今日は、鎌倉に住む西表氏より電話が有り、東京の建入さんが10月4日に、福岡の友人と3泊4日で屋久島入りする事に成った。阿部敏郎氏や、山川絋矢氏や、佐藤宇三郎氏の繋がり方を見ると、確かに本番が動き出している様に感じる。
神奈川の高橋智恵美さんに告げられて来た、「自分から動き出すと 嘔吐しかねないスピードに成る」との神のメッセージは、本当なのかも知れない。
今「たなごころ・掌」を検索すると、次の様に辞典に載っている。
1 「た‐な‐ごころ【掌】 《手の中心の意》てのひら。手の裏。たなうら。
2 掌にする 手に握る。思いのままに支配する。
3 掌(たなごころ)の中(うち)手の中にあるように物事が思いのままになること。
此の意味からすると、今朝のメッセージの映像は、「手の中にあるように 物事が思いのままになること。」との意味を伝えて来たのかも知れない。
漢字の「有・ユウ」は、右手の象形である。其の字義からも、今朝のメッセージは、私が右手に、何かを握り締めている理・ことを、示唆して来ているのではないだろうか。
平成21年9月24日
礒邉自適

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2009/9/13
此のビルから出て行け
21・9・13
今朝は、「良き縁を結ぶ」との題にしようかと思って居たのだが、明け方に、強い語気で「此の建物から出て行け」との男性の言葉が聞こえた。其の声の主が、誰だかは判らないが強い言葉だったので、事務所に来て暦で今日の日付を調べると、旧暦7月25日「司法保護記念日」「世界の法の日」「乃木神社祭」と載っている。
なので先ず、「乃木神社」を検索すると次の様に載っている。
「乃木神社」東京都港区赤坂に鎮座。祭神は乃木希典命(のぎまれすけのみこと)。相殿(あいどの)に乃木静子命(のぎしずこのみこと)を祀(まつ)る。旧府社。日露戦争の英雄・陸軍大将乃木希典は、1912年(大正1)明治天皇御大葬当日、静子夫人とともに自宅で自刃した。13年東京市長の阪谷芳郎は中央乃木会を結成、23年乃木邸の隣地に社殿が創建された。山口県(乃木の郷里)、栃木県、京都府、北海道にも乃木神社がある。例祭は命日の9月13日。宝物の太刀(たち)は国の重要文化財。
「乃木希典」御先祖は、宇多天皇第八皇子敦賀親王の後裔佐々木四郎高綱公です。
高綱公は1284年宇治川の合戦で義経の軍を勝利に導き功名手柄をたてた方です。
乃木希典は吉田松陰を追慕し、16才のとき玉木文之進の門に入り学問を進め文学、哲学を志しましたが、父希次の家庭教育により武官の道を歩むことになりました。
文学者としてその詩風は大陸的、叙情的であり、今日もってその評価は世人の追随を許すものではありません。
武人としての評価は分かれるところであり、西南戦争のとき軍旗を失い自決しようとしたが、諫められ、日露戦争では、明治天皇に復命の際、「旅順の攻撃には半年の長日月を要し多大の犠牲を供し・・・・・」と述べて、自分の作戦の失敗から多くの国民の命を落としたことの責任を痛感され、死をもって国民の前に謝罪したいといわれた。
「愧ず我れ何の顔あってか父老に看ん」という詩も、乃木希典の人間性を素直に現わしています。
しかし、明治天皇は「今は死すべきときでない」と慰撫し、悲痛の乃木希典に、その心で昭和天皇の教育を頼むということで、学習院院長にと発議し任命されました。
学習院院長在任中の明治45年(1912年)夏のこと、生徒を引率して鎌倉に水泳訓練に行っているとき、天皇の容態の急変を知らされ、急いで東京へ帰り病床を見舞ったが7月30日、天皇は崩御になった。
乃木希典は死の許されるときがきたと思われたことでしょう。
9月13日静子夫人を伴って葬儀に参列し、天皇に最後のお別れをした後、赤坂の自宅にもどり、二階八帖の間に於いて自決されました。
武官としての作戦の責任と、多くの犠牲を深く恥じた乃木希典のこの自刃は文人としての心情に裏打ちされた武士道・明治の終焉でありました。 ─引用終了─
此の「乃木希典」の説明を読むと、今朝の「此の建物から出て行け」との言葉は、責任感の強い乃木希典の意識に関係が有りそうである。其れに「昭和天皇」の教育を頼まれたとの事だから、意識の高さと言うか義務感にも相当なモノが有った事は、伺い知ることができる。
其れに、「此の建物から出て行け」との言葉から連想できるのは、先月8月16日に大阪から来た津川君が、原地区の天皇家の元である「日子穂穂手見命・ひこほほでみのみこと」が祭られている、「益救神社・やくじんじゃ」の参道の入り口で告げられた、「自適さんは 地球のマンションの管理人だから 手伝え」との言葉と関係が有り、私の背景に有る神のプログラムが、建物形式に成っているとの理・ことではないだろうか。
其れは、昨日の「国家戦略」の「国家」との言葉に関係が有り、明治時代の人間の意識構造には、国家とは「天皇陛下」を主としての「家・大宅・おおやけ」である、との想いが強かったのではないだろうか。其の様に考えると、25年前に私に起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」の中には、日本国の天皇の御霊が揃って居て、日本の国体を正そうとしているのであろう。其れが、9月7日のメッセージに有った「國胎得守・こくたいえしゅ」の言葉に表されているのであろう。
其の日の文章は、次の様な内容である。・・・普通は、日本国の「コクタイ」は「国体」と書く。其れを、国は旧字の「國」とし、体は旧字の「體」ではなく「胎児」の「胎」にしてある。何故かと思い、漢語林で「胎」を調べて見ると、「胎」は「肉(月)+台」の組み合わせで、台は始めに通じ、はじめの意味。肉体の始まりの意味から、はらむ・はらのこ・きざしの意味を表す。と載っている。
此の意味からすると、「國胎」とは新しい国の始まり・兆しを意味している事に成る。そして「得守」とは、其の始まり・兆しを得て守れとの意味に成る。・・・
「國胎得守・こくたいえしゅ」http://green.ap.teacup.com/20060818/1264.html
此の文章の内容からすると、今朝の「此の建物から出て行け」との言葉は、其の「志・こころざし」の無い者は、此の「日本国・国家・ビル・マンション」から出て行けとの意味ではないだろうか。
今日のニュースでは、安倍晋三内閣で教育再生の目玉として導入を決めた「教育職員免許法改正」を、民主党の有力支援団体である日本教職員組合(日教組)が強く廃止を求めている事が、今度の鳩山内閣で認められ、教育改革が後退すると報道されている。
其の様に成れば、国旗である「日の丸」に対する価値観はますます薄く成り、「国家意識」は消えて個人主義の世の中に成るので、今朝「此の建物(国)から出て行け」と憤慨している御仁の気持ちは、益々もって激しく成るのではないだろうか。
さて、今朝のメッセージの映像は、一口に謂えば「良き縁を結ぶ 国造り」との内容であると、言えるであろうか。今朝のメッセージの映像は、テーマは1つであるので、物語としては1幕の舞台で終わった。しかし其れは、其のテーマが大事なので、1幕にて同じ内容が、繰り返し説明が為された。
其れは、国造りを行うのに、内側に入れる人物と、入れては成らない人物の区分・立て分けである。其の様に謂うと、人種差別の様に受け取られそうだが、其れは人種の区別ではなく、「公・大宅・おおやけ」の自覚が、有るか、無しかの、精神的構造の区別である。
其れは、此の日本国家の始まりの時にも有った事である。徳川幕府体制が崩壊し、明治政府に移行して、新しく日本国家が形成される時に、本人は狭い家に住んで、第一国立銀行や王子製紙・日本郵船・東京証券取引所を創設した「渋沢栄一・しぶさわえいいち」の存在と、自分の金儲けだけを考えて事業拡大を続けた、三菱の創業者である「岩崎弥太郎・いわさきやたろう」の違いの様なモノである。
・「岩崎弥太郎・いわさきやたろう」1835年1月9日(天保5年12月11日) - 1885年2月7日)は日本の実業家で、三菱財閥の創業者。明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である。
・「渋沢栄一・しぶさわえいいち」天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、幕末の幕臣、明治〜大正初期の大蔵官僚、実業家。第一国立銀行や王子製紙・日本郵船・東京証券取引所などといった多種多様の企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父と呼ばれる。
正二位勲一等子爵。雅号は青淵。戒名は泰徳院殿仁智義譲青淵大居士。
第一国立銀行のほか、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビールなど、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上とされている。
若い頃は頑迷なナショナリストであったが、「外人土地所有禁止法」(1912年)に見られる日本移民排斥運動などで日米関係が悪化した際には、対日理解促進のためにアメリカの報道機関へ日本のニュースを送る通信社を立案、成功はしなかったが、これが現在の時事通信社と共同通信社の起源となった。
渋沢が三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにある。「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、後継者の敬三にもこれを固く戒めた。また、他の財閥当主が軒並み男爵どまりなのに対し、渋沢一人は子爵を授かっているのも、そうした公共への奉仕が早くから評価されていたためである。
なお、渋沢は財界引退後に「渋沢同族株式会社」を創設し、これを中心とする企業群が後に「渋沢財閥」と呼ばれたこともあって、他の実業家と何ら変わらないのではないかとの評価もある。しかし、これはあくまでも死後の財産争いを防止するために便宜的に持株会社化したものであって、渋沢同族株式会社の保有する株は会社の株の2割以下、ほとんどの場合は数パーセントにも満たないものであった。
社会活動 [編集]
震災復興院委員: 実業界の中でも最も社会活動に熱心で、東京市からの要請で養育院の院長を務めたほか、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わり財団法人聖路加国際病院初代理事長、財団法人滝乃川学園初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長などもした。
関東大震災後の復興のためには、大震災善後会副会長となり寄付金集めなどに奔走した。
・曾孫の1人に澁澤寿一が居る。(私・自適は会って 話した事が有る)
澁澤寿一(1952年 - )は東京農業大学大学院修了の農学博士。現在は「NPO法人樹木環境ネットワーク協会」(東京都新宿区)の専務理事を務める。
国際協力事業団専門家としてパラグアイ国立農業試験場に派遣される。帰国後は長崎オランダ村、ハウステンボスの企画、建設、運営に携わる。 渋沢事務所(東京都新宿区)代表として、日本・アジアの環境や地域、人づくり活動を実践してきた。
─引用終了─ ウィキペディア辞典
今朝、伝えられて来たメッセージの内容は、是から、新しき国造りを行うに当たっての、国の形や、人材の扱い方に付いての様であった。其の内容は、新しい国造りに関わる人材に、二種類有るとの事である。其れは、此方側に其のまま素直に参加する人材と、自分の「国・洲・くに・考え・特徴・個性」を保ったまま、個人的に参加する人物の存在である。
其れは、現在NHK番組で放映されている「天地人」で、秀吉の誘いを断り、上杉の国造りを行った「直江兼続」の様な人物と、提携しろとの理・ことの様である。確かに、素直に従って来る人物だけ集めて国造りを行っても、体質の弱い国と成るであろうし、面白き国とは成らないであろう。其れは、「直江兼続」だけではなく、三国体制を図った「諸葛孔明」の考え方にも、通じるモノが有るのかも知れない。
其れに、全ての人間を1つの思考・意識の中に統一してしまおうとの考えは、カバラの薔薇十字の企てであり、以前の日本の軍国主義に利用された「八紘一宇・はつこういちう」の考えと言うか、手法でもある。其れは、昭和20年8月15日に奈良市の矢追日聖氏が神に告げられた、紫陽花の花の様なシステムの、国家造りや国連の在り方ではない。
「正傳 矢追日聖」http://moon.ap.teacup.com/20060403/133.html
何れにしても、今回、世界同時金融危機を起こす原因と成った、ユダヤ金融資本主義は、新しい国造りには絶対に合わない世界である。昨夜NHK番組にて、其の件に付いて1時間放送がされていた。其の番組の中で、台風などの自然災害を証券化するのを通り過ぎて、人間の生命保険まで証券化する為に、証券マンが世界から100人も集まって話し合いが行われている場面が映されたのである。
オバマ大統領が投入した政府の資金は、金融の世界に流れ込んで旧体制を支え、平均1億円のボーナスを受け取った人間が4700人も居るそうである。しかし、企業は倒産し失業者は増え続け、日本からの輸出は50%足らずとの事である。現在の価値観や体制のままでは、何れ本格的な崩壊が起き、政府では支え切れなく成るであろう。
アメリカ経済が崩壊すれば、自動的に日本経済も崩壊し、日本には未曾有の危機が訪れるであろう。其れは、終戦後の状態よりも悪い状況が起きる可能性が高い。何故かと言うと、日本国民の精神が利己主義と成っているので、イザ何かが起きれば、お互い助け合って危機を乗り越え様との、協力体制が整わないからである。
今朝のメッセージは、其の様な事態に成らない様に、新しい国家の在り様を整えろとの事ではないだろうか。其の為に先ず、人民の扱い方と、人材登用の仕方のヒントと言うか、心構えを示して来たのかも知れない。
昨夜は、事務所で小林竜也君と話し合い、「屋久島総合開発会議」の枠組みを、早急に立ち上げなければ成らない事を確認し、参加者名簿の作成に入る事にした。今朝のメッセージは、其の事を踏まえた上で、次の段階を示して来たモノかも知れない。何れにしても、鬨・ときは始まったのであろう。
其れが、「司法保護記念日」「世界の法の日」「乃木神社祭」である本日示されて来た事に、意味深いモノが有る。私自身も「此の建物から出て行け」と云われない為にも、性根を入れて、此の事に関わって行かなければ成らない様である。
平成21年9月13日
礒邉自適

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2009/9/9
紫垣正一
21・9・9
本日9月9日は、1番陽の数字である「九・9」が重なる事から「重陽の節句・ちょうようのせっく」と呼ばれている。其れは、中国文化の影響だが、日本では「99」を「括り・くくり」の日とし「白山大権現菊理姫(くくりひめ)」の大祭日ともしている。其れは、白山菊理姫は「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊弉冉命・いざなみのみこと」の縁を、括り・結んだ神ともされているからである。
其の「白山菊理姫」に直接は関係無いのだが、此処数日、私のブログのカウント数が上がって来ている。其の原因は、どうやら、私が、今度総理大臣の妻と成る「鳩山幸さん」の名を、9月4日のブログに書いたので、其れがヒットしている様である。
其の内容は次の様なものである。
・・・今朝のメッセージの映像は、今度、総理大臣に成る事に成った「鳩山由紀夫氏」の名前が現れて、奥さんの「幸・みゆきさん」が、神秘の扉を開ける鍵に付ける、金色の「鎖・チェーン」を持っている事が示されて来た。「鳩山幸さん」は、気功家の様に、太陽のエネルギーを取り込む事に熱心な方の様で、レストランを経営し料理の本も出版したりして、幅広く活動しているすてきな女性である。
其の「鳩山幸さん」が、何故、神秘の世界に通じる鍵に付ける、金色の鎖を所有しているのであろうか。料理を作る事が、熊野の神の「櫛御氣の命」に通じているのか、それとも総理大臣の妻「トップレディ」と成る事に関係が有るのだろうか。
其れに「幸・みゆき」の名は、「御幸・みゆき・ギョウコウ」で「天皇が出かけること。行幸。みゆき。」の意味が有る。・・・
「籠目・かごめ」http://green.ap.teacup.com/20060818/1261.html
此の、鳩山幸さんが持っていると示された「金色の鎖」が、「菊理姫・括り姫」の「括り・結び」の働きを、意味しているのではないだろうか。其の様に考えると、今回総理大臣と成る夫の鳩山由紀夫氏だけではなく、妻の「鳩山幸さん」にも大きな役割が有ると言う理・ことに成って来る。いま「鳩山幸さん」の事は、世界中で「今度の 日本のファースト-レディーは オカルトの信者?」とのニュースが流されている。其の出来事も、若しかしたら神の作戦の1部なのではないだろうか。
中南米の、マヤ文化やアステカ文化でも、羽根の生えた龍・蛇の姿が神とされ「ククルカン・括る神」とされている。其れは、日本の白山権現大明神である、白龍の背に乗る菊理姫のイメージ・姿と重なっている。若しかしたら、鳩山幸さんの謂う「円盤に乗って金星に行った」との話は、白山菊理姫の本体である「白龍」が、鳩山幸さんの意識を金星まで連れて行ったとの事なのかも知れない。其れを考えると、「鳩山幸さん」は映画を製作するとも謂っているし、是から世界を変えて行く為に、大きな役割を担っているのではないだろうか。
其の事を、知っているのかどうかは判らないが、シャーリー・マクレーンの著書を訳したりしている「山川絋矢氏」が「鳩山幸さんを応援する会」をミクシィのコミュニティに立ち上げているので、私も其のコミュニティに先ほど参加した。
「鳩山幸さんを応援する会」http://mixi.jp/view_community.pl?id=4526471
昨夜は12時頃宿舎に帰り、シャワーを浴びてベッドに横に成っていると、「正目・まさめ」の木目の板が、1枚現れて「紫垣正一・しがきしょういち」との名が伝えられて来た。其の正目の木目は、上から下に流れる、水の軌跡を線に現した図形の様な物だが、其の中央に枝の痕の様な黒い箇所が1つ有り、線の流れは其の1点を避けて少し膨らんでいた。
其の図形から考えると、「紫垣正一」の「紫垣」は「紫微垣」に因んでおり、真ん中の黒い点は「正しいもの一つ・正一」との意味を表しているのではないだろうか。
「紫微垣(しびえん)」とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。 と 辞典には載っている。
其の様に考えると、真ん中の黒い1個の点は、「水・トキ」の流れの中に止まる「モノ・物・者」を意味し、動いては成らない者の存在を表しているのだろう。其の黒くて硬い点は、トキの流れの中の心棒であり、其の心棒が、流れの勢いに負けて流れてしまえば、事象が定まる事が出来ないので、歴史が生まれないと言うか、2600年毎に立ち上がる「時の節目」が生じないとの理・ことではないだろうか。
其の、時の節目が生じなければ、釈迦牟尼佛が予言した「弥勒菩薩・マイトレイヤ」の出現も無いと言う事である。何故なら、時の節目が生じなければ輪廻転生も無いので、「転輪聖王・チャクラヴルティン」が立ち現れる事が出来ないからである。
だから、新しいトキの流れの中に、動かない、流されない者が在ってこそ、歴史が誕生するとの理・ことではないだろうか。其れが、2600年前の節目に現れた、インドの「釈迦牟尼佛・悟り」や、日本の「神武天皇・政(まつりごと)」や、中国の「老子・智慧」などの存在であろう。
今朝のメッセージの映像では、私が、時節が到来したのでメンバーを招集したら、呼び掛けのテーマが明確ではないらしく、役目の人達の集まりが悪かった。私がどうしたモノかと考えて居ると、1人のドイツ人男性が現れた。其の男性は、中・小の額縁を澤山用意して、私の前に現れたのである。其の額縁は、新しく作られた物で、まだ一枚も絵画や写真等は入ってはいなかった。
其のドイツ人と、昨夜の時間の流れの意味を合わせて考えると、以前にドイツ語で「ルーベン-デス」と告げられて来た事と、関係が有る様である。「ルーベン-デス」とは、ドイツ語で「船首を 正しく風上に向ける」との意味である。其の意味から、昨夜のメッセージの内容を考えると、新しい流れの中に居なければ成らないが、其の流れに乗って流れて行くのではなく、流れの中に止まって、上流に意識を正しく向けて居なければ成らないと言う理・ことである。
「観音菩薩の道を整える」http://star.ap.teacup.com/170606/98.html
其れは正に、漢字の「勝・ショウ」の意味の「流れに勝つ」との意味であり、水の流れに流されて行く「游・遊」の字義とは、違うと言う理・ことである。「勝」の漢字は、「舟+両手+力」の組み合わせで、「水の流れに逆らって 両手の力で 舟を押し上げて行く」との意味で、「游」は「水+旗+子」の組み合わせで、「水の流れに任せて 泳ぐ・あそぶ」の意味である。
其の「勝つ」と「遊ぶ」の意味の違いを考えると、游びの時期は過ぎたので、是からは勝つ為に、動き出さなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
そして流れに勝つ為には、日本人の事なかれ主義では駄目であり、ドイツ人的な合理主義で進まなければ成らないとの事なのではないだろうか。鳩山由紀夫氏は、20年までの日本の温室効果ガスの中期目標として「90年比25%削減」を打ち出した。
環境問題には、ドイツが具体的に取り組んでおり、環境保全対策ではドイツが先進国である。其れを考えると、今朝のメッセージの映像にドイツの男性が出て来たのは、ドイツの遣り方を学べとの事なのではないだろうか。そして其の事が、鳩山政権を強化するとの理・ことなのかも知れない。
其の為には、今朝ドイツ人が澤山持って来た額縁に納める物を、用意しなければ成らないのであろう。其れは、リーダーの写真や、現場の写真、其れに「憲章」などの条項も必要なのであろう。其れが、鳩山内閣を支える事に成り、日本の「政(まつり)ごと」が、世界の「魁・さきがけ」と成るとの事ではないだろうか。
そして其の事は、昭和20年8月15日の昭和天皇の玉音放送後に、奈良市の「矢追日聖法主」に神が告げた、「此の日本から 新しい精神革命が起きる」との事が、現実と成るとの事なのであろう。
「正傳矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
其の動きに、今度日本のファースト-レディーと成る「鳩山幸さん」の働きが重要であるとの事なのではないだろうか。其の様に考えると、鳩山幸さんが持っていると言う未来を開く鍵や、其の鍵に付ける黄色の鎖は、世界の人々が手を繋ぐ黄金の「ネットワーク・人間の鎖」であると言う事になる。
此の様に書いて行くと、正に今日9月9日は「括りの日」である事に成り、白山菊理姫の働きが本格的に発動するとの事ではないだろうか。其れは、日本だけではなく、マヤ文化やアステカ文化の神々も動き出すと言う事であり、ドイツのマルチン・ルターの霊魂も「ハッスル ハッスル」と、張り切って踊り出すのかも知れない。
9月1日の、親の総取りの「菊と盃」のイメージから続いて来た、92・93・94・95・96・97・98の数霊に絡むメッセージは、今日9月9日で結ばれた様な気がする。
「菊と盃」のイメージは、昭和61年(1986)1月10日に滋賀県の近江神宮の「天智天皇祭」で天智天皇の霊魂に告げられた「神籬の 代々の乱れを盃に 菊一輪と廻し飲み」の和歌に関係が有るのだろう。其の出来事を考えると、其の日から23年9ヶ月が経過して、天智天皇の「霊魂の思頼・みたまのふゆ」が完成される時節を、迎えた事に成るのではないだろうか。
「天皇霊 其の一 天智天皇」http://star.ap.teacup.com/170606/816.html
「紫垣正一・しがきしょういち」とは、PCで検索すると1字違いの「紫垣正仁」との名が有る。他に「紫垣正一」との名前が使われていないのであれば、私の是からのペンネームに使用しても良いのかも知れない。
平成21年9月9日
礒邉自適

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