2003/2/14
「き」
き
15・2・14
今朝の霊夢には、平仮名の「き」の文字がハッキリと大きく出て来た。その前後の夢も有るので、説明すると少し長くなりそうな気がする。「き」が映る前の夢は長い物語りになっていて、大きな事を示して来ている様だ。
最初に、リングの付いた大きめの単語帳が映って来て、教室が現れた。
教室には、20名くらいの生徒達が居て、教壇の先生の話を聞いている。先生が云っていることは、「単語帳の 1枚1枚に書いてある セリフを覚えて、これから始まる場面に合わせて 話すように。」とのことである。自分勝手にセリフを言ってはいけないらしいのだ。
私は、教室の後の方の席に座って居て、自分の単語帳を捲って見ると、1枚目には何か短い文章が書いてあったが、2枚目からは何も書いてないので、何を話せば良いのかが分からない。
教室内での説明が終り、皆外に出て作業が始まった。その作業とは、人から人へ手に持っている物を、リレー式に受け渡して行く「道筋 (過程・経路・プロセス)」を現している様だったので、文化や文明の継続を意味しているものと想える。
私は、自分の役割を忘れて、他の人達が次から次へと自分の特長を出した物を、渡しながら走り続けているのを眺めている内に、その列から外れてしまい取り残されてしまった。
皆が走り去った後に立っていると、畑で農作業をしている母子に気付いた。何をしているのかと想い近付いて行くと、それは 自分の母親と27年前に26才で亡くなった弟だった。
私が近付いて、其の作業を見てみると、私のやり方とは違っているので「こんな事をしては 駄目ではないか。」と云うと、弟は「自分では この新しい方法が 良いと考える。」と云って、作業を止めないのである。
私は、母親に協力を求めようと想い、母親の顔を見ると、母親は優しい顔をして見ているだけで、何も云わない。私の云う事も、弟のやり方も両方理解しているらしいので、私はもう弟に委せた事だから、好きな様にやらせるしか無いと想い、一連の夢は終った。
この夢の連続が、何を伝えて来ているのかを考えて見ると、
一、起きる事の順番に 口にするセリフが 大事。
二、順番に 伝え続ける 技術や文化。
三、個人が 研究して新技術を開発し 実行している事の邪魔をしてはいけない。
四、古い考えを 押し付けてはいけない。
等の事柄に思い当たる。この事を通して考えると、「人間の生活の舞台には、其の時代その時代に合った言葉が必要とされ、其々の人達が考え出した発明、発見を連続して継続しているのだから、たとえ弟であっても余計な口出しをしてはならない」との事に 成るだろうか。
この夢が終ったら「き」の文字が現れて、何の意味か考えていると、右下の方に小さく「拳」の文字が見えて、其の文字を確認したら、次に「ろ」の音魂が意識に浮かんで、今朝のメッセージは終った。
朝起きて辞典で調べると、
「拳」は「拳法」の「ケン」で、【指をまきこみ、こぶしをにぎるの意味。から、にぎる、かたし、つとむ、力の意味】とある。(漢語林)
「ろ」は、「何々をしろ」の「ろ」で、命令語に使用されるが、国語大辞典・言泉には「感動を持って 相手に働きかける時に 使用する。」とある。
「き」は、平仮名文字でハッキリ現れたので、「漢字では考えるな。」との事であろう。漢字で考えると、「気」とか「木」とかに、意識が固定されてしまう。文字に気を取られないで「き」の音だけで探ってみると、「気持ちが悪い。」は「気(キ)」「持(ジ)」「悪(オ)」が漢語だから、「きもちがわるい」は日本語である事が分かる。
其れは「きの もちかたが わるい。」との意味だから、「き」は人間にとって目には見えないが、大事な物である事が理解出来る。
「気」は「キ」の他に「ケ」とも読み、「気配・ケハイ」にも使われる。
「ケ」は、人間の体の外に感じる物の怪の事で、人間の目には見えないが、感じるものの事であるし、一方「きもち」の「キ」は人間の内側に存在する、目に見えないものの事である様だ。
目には見えないが、確かに人間の内側に存在するもの、それが「き」であろう。
「き」は「生」もあり、【「生娘」「生そば」「生一本」「生まじめ」「生糸」「生醤油」など。原産のままで人手を加えていない、また精製していない意味と、純粋でまじりけのないこと】とある。(言泉)
後半の夢の「き」「拳」「ろ」を調べてみたら、「感動して(ろ)こぶしをかたくにぎりしめる(拳)+き」という事になる。「き」を前に持って来ると、「純粋な まじりけの無い気持ちで、かたくこぶしをにぎりしめ感動する。」になり、「き」を後に持って行くと、「感動して 拳をかたくにぎりしめる 純粋な気持。」という事になる。
それでは、前半の夢の映像と、後半の文字の意味を繋いで見ると、どの様に成るであろうか。一番のテーマは、やはり「き」の言霊《(ことだま)言葉が持っている本来の働き、魂》であろう。
「き」は人間の内側ばかりでなく、宇宙全体の内側に満ちているものでもある。神の名も、その宇宙に満ちている「き」に名付けた名前であろう。
宇宙には、永遠に継続する何かが存在する。その何かを、名付ければ「真理」とか「神」とかになるであろうが、名付けないで認識だけしようとすれば、「き」という音霊に行き着くのではないだろうか。
人類の文化を発展させ、継続させている根源の力も「き」であるし、発明・発見を起させている力も、その「き」が源である。そして、その文化や発明・発見に感動するのも、人間のうちにある「き」のエネルギーであるし、拳をかたくにぎりしめる力は、身心のエネルギーの気である。
「きをくばる」とか「きをひきしめる」「きがきく」とか、日本語の中には「きを使った」言葉が沢山ある。その「き」が現代では、「き」が違ったのか、狂ったのかは分からないが、自分の金儲けとかの欲望だけに「き」が使用されて、本人も気を使い過ぎ疲れ果てている。
「疲れ果て」とは、使いつくされている事の表現である。それらの人々は、人類が長いトキを掛けて築いて来た文化・文明を、只 自分の為にだけ使っているのだ。
愛とは「き」を自分の為だけに使うのではなく、他人の為に使う事である。自分の為に使う「拳」は、怒りと暴力の為であり、その様な人は「ろ」も又、権力の命令系にしか使えない。
今朝の夢は、自分が私心ではなく公の場で、どの様なセリフが言えるかを深く考え、準備しろとの事であろう。
宇宙の永遠性の時間の中で、神氣に因って築き上げられて来た人類の文化が、地球環境と共に滅び去ろうとしている現代社会において、未来社会をどの様に継続させて行く事が出来るかを、今朝の夢は示唆して来た現象(もの)であろう。
私に此の様なメッセージを送って来る「き」は、何なのであろうか。
昔の人達は、その「き」に対して神と名付けたのではないだろうか。
そうであれば、私は「き」の中に埋もれているという事に成るのであろう。
そんな「き」がする今日のメッセージであった。
平成15年2月14日
礒 邉 自 適
投稿者: isobejiteki
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