2003/2/14
記
15・2・14
私の旅日記を捲ると、様々な事が記してある。何しろ、18年間自由に旅をして来たので、多くの出会いがあり、日記を書いた場所も全国バラバラである。其の中で、自分でも興味深い事が有るので、文章に起して見ようと思う。
1999(平成11)年5月21日の夢に「ルーベン・デス」と出て、次に判断基準の意味が伝えられ、縦書にて「記・性・食・霊」と、次々に文字が書かれて現れた。そして一番上の「記」だけが光っていたのである。しかし当日は 未だ何の事だか分からなかった。
次の日22日に、出雲から東京に向かって出発した。23日に、埼玉県上福岡市で神明塾を開いている、佐々木将人氏の祭りが有り、それに呼ばれていたからである。
不思議な事に、2ヶ月前の1999年3月18日金曜日の夢に「23日 1.4」と現れて、何だろうかと考えていたら、其の日の午後2時頃、郵便が届いたので開けて見ると、佐々木将人氏からの手紙で『5月23日午後1時より4時まで祭りを行う。』との内容であった。
3月18日は、私が師に捜し出されて丁度16年目の日である。其の16年目の記念すべき日に、夢に出た日付と、時間が附合する手紙が届いたのである。早速、安部忠宏氏(当時、私がお世話に成っていた出雲の会社社長)に其の事を話し、2名で参加する旨を連絡した。
そんな事があって、5月22日朝9時20分発の飛行機で、東京へ向けて出発する事と成ったのである。
其の、5月23日の祭りも無事に済んで、出会いの中から、東京に安部氏が事務所を持つ事に成り、私は事務所探しの為に東京に泊まる事になり、其れから暫らくホテル住いと成ったのである。26日に時間が空いたので、渋谷の本屋に寄って「ルーベン・デス」を調べてみようと思い、辞典のコーナーに行って見た。
行って見て分かった事は、「ルーベン・デス」のスペルが分からないと、調べ様が無いとの事である。「ルーベン・デス」の日本語の意味も、分からないので調べ様が無い。
私はガッカリして、あきらめ掛けたのだが「ルーベン」の言葉の響きがドイツ語の様な気がするので、ドイツ語辞典の棚の前に立った。しかし独和なのか、和独辞典なのかも分からない。私は何気なく、厚い独和辞典を手に取って、栞の挟まっているページを開けて見た。すると、独語のスペルの右側にカタカナが書いてある。
そのカタカナの中に、何と「ルーヴェン」と有るではないか。そして後の方に「船首を 風上に向ける。」と書いてあり、スペルの方を見ると「lu-ven」と載っている。「ルーヴェン・(ルーフェン)」の所に、栞が挟まっていたので驚きであった。
私は喜んで、昂奮気味に今度はカタカナで「デス」を追っ掛けて頁を捲って行った。すると「デス・タメント」が載っており、【@遺言状 Aキリスト教・神と人との契約】とある。判った事は「デス」とは「テスト」や「テスタメント」の「テス」で、「精確に、精密に」「聖なる契約」の意味である事が分かったのである。遺言状や、神と人との契約は、人間にとって一番大事なもので、決して間違ってはならないものである。
テストは間違っても、点数が悪くなるだけだが、それでも正確に書くという約束事は、ハッキリ意味付けされている。
「ルーヴェン」と「デス」を続けて意味を採ると、「正確に船首を風上に向ける。」となり、私のこれからの行動は、「風に向って 正確に前進せよ。」とのメッセージとして受け取れた。
この事が判明したので、馴れない東京での一人暮らしの覚悟が出来たのである。
話を元に戻すと、5月21日には「性」(男・女の働き)「食」(食物の良し悪し)「霊」(守護霊の霊格)等の判断基準の前に「記」の文字が有り、それが光っていた事が有る。
此れらの事からも、「ルーヴェン・デス」が何の事か解って来た。「デス」が正確に書く。つまり記す事に関係が有る事が分かったので、「記す事を正確にし 其れを判断基準にして、風上に向って進む。」とのメッセージが明確に成って来た。
西洋の旧約聖書も、預言書として3000年来伝えられている様に、人間が風に流される事なく前進する為には、何らかの記されたものが必要であるとの事だろう。「記す」と言う事は、古代シュメールやエジプトやマヤ文化でも行われている。記された物が、如何に人間の判断に影響を与えるかは、昔から重要視されていたのであろう。
それにしても、中学校しか出ていない私に、ドイツ語で云って来るのも不思議な事であり、東京の本屋の辞典に栞を挟んである事も、常識では考えられない事である。出雲に住んでいる私の事を知っており、東京の本屋の人間まで動かしている者の正体は何者であろうか。
私にも、神の世界がどう言う「絡繰・からくり」に成っているのか分からないが、全体的に目には見えない何者かが、手を尽している事は、ハッキリ感じられるし、其の働きを人間側が知って、証しとして記す事が、大事である事も見えて来た。
私が文章を書き始めたのも、此の「記」と「ルーベン・デス」のメッセージが大きな切っ掛けと成り、1999年の秋から日記だけではなく、文章にも残し始めたのである。それから、3年余りに成るが、私が記す事で、神界も段取り良く、事が進められる様である。
私の行動を支えながら、メッセージを送って来る者、それも、私が持っている辞書の中身まで知っていて、私の知り得る情報の限界をも把握していての事らしい。昔から、神は偉大な存在だと云われているが、私も其の事に対して疑いは無くなっている。
私が不思議に思うのは、それだけ力の有る神が、何ゆえ、こんな出来の悪い人間を、大量に増やして来たのかという事である。
他の生物や、地球の環境の事を考えると、もう少し何等かの方法が有るのではと想うのだが、それも人間の余計な考えなのであろう。神は、偉大な存在であるのだから、全て知っていての現象界への現れなのだろうから、私達人間のするべき事は、風上に向って神の御業の完成を手助けし、勝って行かなければならないのだろう。
13日には、愛媛と、岡山の中年男性が、「もう 世の中に合わせて 生きて行くのには疲れた。」と、限界を訴えて来た。
人間社会全体が、古い価値観ではどうしようもない処まで来ている様である。
未来に向って、新しい船を出港させなければならない日は、近いのであろう。それが「ルーヴェン・デス」のメッセージの指し示す事であると想われる。
平成15年2月14日
礒 邉 自 適
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