2003/7/3
茎
15・7・3.
6月27日より昨日まで、一週間連続、海に出掛け磯物捕りをした。今回の大潮は、特別潮が引いたわけでは無いが、毎日、島の何処かが風下に成って、海が凪ぎていたからである。捕れた磯物は、知人に配ったり、全国にも宅配便で送って喜んで貰えた。
私が、7日間磯物捕りに夢中に成る事を、神も知っているのか、殆んどメッセージらしいものは無かったが、今朝は大事な理・ことを告げて来た様である。
今朝の映像は、私の意識が何か大事な物を探していて、ようやく探し出して手にしたものが、25日の日付で、意味は丈夫な「茎」に成れとの事だった。
25日が、今月の7月25日であれば、其の日は、マヤ暦の一年で、一日だけ余りの日(時間の空いた日)である。其れは、26日のマヤ暦元旦を迎えるにあたり、心の準備をする日である。マヤ暦は、現代のカレンダーの暦とは次元が異なり、人間と、宇宙の関係を深く考えて作られているものである。
現在の暦の価値観は、仕事をしたり、旅行をしたり、子供の産み月を計算したりと、生活の実用的な事にしか使用されないが、マヤの人達は、暦を、人間の魂と、神の働きの間に仲介するものとして捉えていたのである。丁度私が、現在感じて行動している様に、神の知らせて来る日付に合わせて、自分の考え方や、行動を決定して行く事と似ている。
今日のメッセージでは、25日に、私が「茎」を重要とする事柄に、出会う事に成るらしい。
「茎」を広辞苑で調べて見ると、
@高等植物において根・葉とならぶ基本的な栄養器官・胚の幼芽が発達したもので、枝葉をつけ、根を生する。地上茎と地下茎との別がある。
A一般に、ものの柄(え)など茎状のものの称。 と 載っている。
漢語林で見ると「草+圣」で、「圣」は「はたおりの縦糸の象形で、まっすぐで強いの意味」とあり、「草のまっすぐで強い部分、くきの意味を表す」とあって、くきの意味の他に「はしら。もと。みき。つか。の意味もある」 と 載っている。
今朝のメッセージの事柄で、私に関係が有りそうなのは、「はしら」とか「もと」の意味ではないだろうか。
神の計画で、何かが始まるのであれば、人間社会に中心と成る柱の存在が無ければ、人も物も動かす事が出来ない。柱とは、動かないで地面と天井との間にあり、空間を作り出す大事な働きを持っている。柱の存在が無ければ、屋根も出来ないし、壁も作る事が出来ない。真直ぐで、強い力を持つ柱は、家を支える基だと言う事になる。
草花の茎にしても、大輪の花を咲かせるのには、強い力が無ければ花を支える事が出来ない。茎とは、花や葉ではなく、根でもなくて、中間に有る大事な部分なのだ。
私に、丈夫な茎である様に告げて来たのは、大きな花か、数多い花を咲かせる為に、しっかりした立場と心構えをしろとの事であろう。私は、花として咲く必要も無いし、根の役目として地下に潜る必要も無いらしい。其れは、人の働いた成果を汲み上げて、上の花の方に送りながら、花を支えて行かなければならないとの事であろう。
花が、未来社会の仕組みの事であるなら、私の役目は大事なことになる。未来社会と言う、花の蕾を支えながら育て、立派な花が開くように、働かなければならない。それには、過去の社会から栄養を集めて、花の方に送り続けなければならないのだ。私の吸い上げる力の良否で、未来社会が美しく開くかどうかの成果が異なるのだろう。
古代のマヤの人々が、そうであった様に、人間の力だけを過信するのではなく、宇宙の意志の存在を、当たり前の事として信じ、人間のエゴ(利己主義)を捨て、神や聖霊の働きに感謝しながら、より良き未来社会を構築していかなければならないのだ。
私は、その為に自分自身の思惑を捨て、只純粋な気持ちで、茎の役目として存在を続けなければならない様である。
言い伝えでは、インドのお釈迦さんが、或る日、花を一輪手にして、静かに座って瞑目していたと言う。その姿を、山から下りて来た「摩訶迦葉(まかかしょう)尊者」が見て、意味を悟り、笑ったと云う。すると釈迦は、摩訶迦葉を側に呼んで「是まで、言葉によって真理を説いて来たが、言葉に出来ない真理をお前に託す」と告げて、宇宙の真理は生き物であり、常に変化して行く事を知らせている。
私に、今朝花の茎をイメージとして送り込んで来た者の存在が、誰なのかは分からないが、宇宙の「永遠のトキ」の中に存在する一連の流れが、新しい舞台を用意している事は、間違いの無いとの事なのであろう。
今朝のメッセージに、「釋迦牟尼佛」や「摩訶迦葉尊者」が、係わっているのなら、私も静かに瞑目する事を、再度実行する必要があるのかも知れない。
前日の7月2日に、日高雲平さんによって、「ファーザー(天の父)」だと知らされて2日目だが、ファーザーの役割が茎の働きであるのなら、子供達が、花として咲く事に協力をして行けば良い事に成る。
25日迄、残り3週間である。26日のマヤ暦の元旦には、新しい人類の未来が始まるのだろうか。私も、それ迄静かに瞑目して過ごす事にしよう。
平成15年7月3日
礒邉自適

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