2003/10/5
い そ べ
15・10・5・
今日は、ウトウト昼寝をしていると、平仮名で「いそべ」と映って来た。
私が、何故、礒邉の姓の家に生れなければならなかったのか、其の理由は良く分からないが、血筋的に何等かの意味が有るのだろうか。
「いそべ」の姓は、「礒辺、磯部」と有り、「石部」と書くのも元は同じ一族であろうと想われる。地域的には、私の「いそべ」は、鹿児島湾の鹿児島市内(旧谷山市)の磯辺部落であり、三重県の伊勢湾の入口にも磯部町があるので、どちらかと言うと海で生活していた部族なのかも知れない。北上すると、群馬県の安中市に「舌切り雀」の物語が伝わっている「磯部温泉」がある。
神社では、兵庫県の滝野インターから北に上った辺りに、私の姓と同じ漢字の「礒邉神社」が存在するが、其の「礒邉」の名前の云われはハッキリしない。
滋賀県の竜王町には、「石部神社」が有るが、此方も未だ由緒は調べていないので、何とも言えない。
私が19年前、神の世界に入った時に、無意識で書いた物に「海渡族の謎を追え」との言葉が有った。何故、その様な文字を、無意識で書かされたのかは分からないが、近年の研究で、1万年くらい前の氷河期には、現在よりも海面が百メートルも下がっており、現在のニューギニアやミクロネシアの島々附近は、大きな大陸であり多くの人間が住んで居たらしい事が分かって来ている。
淡路島に住んでいる「加治木義博氏」のお話に拠ると、其の人達が、温暖化による海進に伴って、各地に広がった証拠として、日本・ハワイ・ニュージーランド・マダガスカル・ベトナム・(オーストラリアを除く)の広範囲に、現在マレー語とされている源語が残されていると言うのである。日本語の中にも、直接間接に関連性をもっているものが、1万語近くも有ると言うのだ。特に、沖縄・奄美群島・熊毛・大隅は顕著であると言う。
私は、自分の認識を深めるのに、日本語の語源を調べているのだが、屋久島の方言の単語は、其れ等の研究にとっても重要な役割を果たしている。言葉は、どんな考古学よりも、古代の人達の概念を、繙(ひもと)くのに役に立つものである。
屋久島の言葉には、6千年前のエジプトの文化と同じ概念が、含まれている様である。
私に、メッセージで昔の言葉や、文字が出て来るのは、何千年も前に生きて居た古代人の霊魂が、作用して来るからなのであろうか。其れとも、私の「いそべ」の血筋の記憶の所為なのであろうか。
今朝のメッセージで「祭神」との言葉が出て来た事と、昼間出て来た「いそべ」との文字に、何か深い関係が有るのだろうか。そして、19年前に書かされた「海渡族の謎を探れ」との文字も、無意識の世界との繋がりが有るのだろうか。そうであるなら、私の19年の意識の旅も、大詰めを迎えた事に成る。
神と、人間との間に、言葉がどう言う役目を果たしているのだろうか。旧約聖書も、預言集であり、日本でも「神仏の お告げが有った」と言うし、大本教の出口ナオは、「お筆先」と言って、文字を知らない人間が文字を書かされ、日月神示の岡本天明氏も、自分でも判断出来ない文字を書かされている。
文字や、言葉を送り込んで来るモノが、祭神とするべき本体なのであろうか。出口ナオのお筆先には、「やがて 石が シャベリ出す時が来る」と有り、また「お地(つち)が上がったり下がったりする」と、天地の異変が起きる事も告げている。
石も、地面も、人間以外の存在物である。「石」は物言わぬ物であり、「大地」は動かない物の対象である。物言わぬ物が言葉を発し、動かない大地が浮き上がったり沈下したりすると言うのは、人間の常識に反している事柄である。
其れ等の事を、実行出来るのは、森羅万象を司る神でなければ出来ない術である。しかし、天地を創造している神が、直接に人間に話し掛けて来るとは考えられない。
天地一切を創造し続けている何物かと、人間との間に、何者かの働きがなければ成らない。其の、中間に位置するモノの働きが、人間に働き掛けて来るのだろう。
天と地と、その間に働くはたらきを、何と呼べば良いのだろうか。人間の霊魂も在るし、太陽や月や大地や、石や木、其れに鳥や獣達、其々が皆、何等かのメッセージを人間に与えてくれる。其れ等の働きを、アミニズムの世界と言うのだろう。
私の血筋の「いそべ」は、其れ等の働きのリズムに、敏感に反応する民(たみ)部(族)なのかも知れない。どちらかと言うと、「いそべ」は、表には立たない性格で、陰で補佐を司る方が向いている部・民で有る様だ。
日本の「三神(天照・月調・スサノオ)」で表現するなら、月調界の神事に、向いている性格だと言える。私の父親も、実力は人一倍有ったが、恰好良く、人前に立つ事は苦手としていた。私も、やはり父親と同じく、未来予測は上手なのだが、自分で派手に先頭を切って進む事は好まない性格である。
其れ等の事も、父親の教育と言うよりは、血筋的な潜在意識の所為なのかも知れない。
今日は、祭神の意味と、自分の血筋や役割の認識を迫られる事になり、新しい動きに対しての心構えを、促された様な気持ちに成って来ている。
平成15年10月5日
屋久島の 礒邉自適

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投稿者:iso
同姓(漢字も‘礒邉’)なので、ここに辿り着きました。奥深い文章でした。
姓名って・・・不思議ですね。
ちなみに私は関西在住で、親の実家は鳥取にあります。
海の近くであることに間違いはありません・・・。